引き続き、千葉栄町コリアタウン巡りレポートをお伝えしよう。
検索でやってきた人は、最初から読んでほしいニダ。
ちなみに最寄り駅は総武本線の東千葉駅だが、それほど距離もないので千葉駅から歩いて行っても構わない。
道で立ち話しているオバハン同士の会話が朝鮮語だった。その傍らには韓国人専用雑貨店、向かいの筋には昔ながらの魚屋が細々と営業を続けている。そんな風景が千葉栄町の日常である。

のっけから「キムチの郷」だもんな(笑)もうどうにもこうにも...
検索でやってきた人は、最初から読んでほしいニダ。
ちなみに最寄り駅は総武本線の東千葉駅だが、それほど距離もないので千葉駅から歩いて行っても構わない。
道で立ち話しているオバハン同士の会話が朝鮮語だった。その傍らには韓国人専用雑貨店、向かいの筋には昔ながらの魚屋が細々と営業を続けている。そんな風景が千葉栄町の日常である。
のっけから「キムチの郷」だもんな(笑)もうどうにもこうにも...
韓国料理の店も多いが、それ以上にいかがわしいソープランドの店が目に付く。
聞く所によると、この千葉栄町は「関東三大ソープランド街」の一つとして、東京吉原、川崎堀の内と並ぶ巨大風俗タウンとして有名なんだそうだ。
プリキュアだとかご主チン様だとか勘弁wwww
ここは欲望渦巻くニダー達のチバリーヒルズ。
で、そういう街にはやっぱりあるのね、ピンクボート...じゃなかった、ピースボートのポスターが。
なぜ千葉栄町はこのような町になっているのか、歴史を紐解いていくと、その成り立ちが見えてくる。
時は太平洋戦争のさなか、栄町はその名の通り当時の千葉市最大の繁華街。
そして、現在の東千葉駅付近に、元の国鉄千葉駅が存在していた。
元はこの場所が千葉市の中心地だったのだ。
千葉市は数多くの軍事施設が立ち並ぶ都市として、B29の爆撃対象になっていた。その軍事施設が、当時の千葉市街の中心だったこの一帯周辺に点在していた。
その中心街が二度にわたり完膚なきまでに焼夷弾の嵐に見舞われ焼き尽くされた。当時の千葉市民の半数である3万8千人が罹災して、死者は1600人に及んだと言われている。
栄町や旧千葉駅周辺は焦土と化し、街づくりを一からやり直さなければならない羽目になった。戦後の復興計画で、千葉駅が現在の場所に移転され、旧千葉駅があった辺りの場所が今の東千葉駅になっている。
ここまで話すと薄々感付くだろう。
よく言われている在日朝鮮人などによる「駅前一等地不法占拠」がこの地に横行していたのではないかと思わせる根拠を。大阪でも一等地の梅田は長らくその状態にあったし、京都の東九条や、名古屋の駅西口なども、みんなそうだ。
千葉駅の移転計画の根拠自体も諸説があり、公には総武線から外房線方面への鉄道の「スイッチバック」対策だと言われてはいるようだが、実は、現在の千葉市民会館付近の土地がまるごと不法占拠され、そこに手をつけられなかったヘタレな行政が国鉄に泣き付いて千葉駅自体の移転を行ったという話もある。
おおむね、納得出来そうな話である。力には力で対抗出来る人間が、千葉には居なかったのだろう。
そこまで街を荒廃させてしまった酷い空襲だったという事でもある。
それでも千葉市民は在日企業である事を知ってか知らずか、今でも千葉ロッテマリーンズを健気に応援しているという皮肉。
極めつけには右翼の害戦車までやってきやがった。
カオスな千葉市の現状を垣間見た一日であった。
参考記事:
千葉市空襲





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