2008年8月アーカイブ

イセザキモールのすぐ裏手、裏・横浜中華街「福富町」の実態をもう少し伝えていこう。

昼間でも既に陰鬱な空気を漂わせる街並み。これが「福富町」。横浜が古い町ではなく海外に開かれた港町として発展してきた事が、この無国籍な街並みを作り出してきたのかも知れない。

横浜が外国人の影響によって開かれた都市であるということは、周知の事実である。

山手居留地や横浜中華街に代表される異国文化の開花の痕跡を見るたび、横浜という街がいかに独特の文化を包括しているのかが見て取れる。

しかし、街に生まれる文化は「光」だけではなく「影」もまた、同時に身に纏っているのだ。

今から見る「横浜の異文化」の風景は、どちらかというと、「影」の部分を背負った風景になるかも知れない。

イセザキモール1・2丁目エリアのすぐ北側、京急日ノ出町駅方向へ少し歩くと、突如として現れるエキゾチックな街並み。その一帯が「福富町」と呼ばれるエリアだ。

ここが、「福富町」の目印となる場所だ。
「福」と書かれているアーチ型モニュメントが、どことなく中華風味。

一度この「福富町」を知ったら、「よそ行き」の横浜中華街では、もう満足出来ない。

今回は、その入口部分だけでも、ほんの少し、雰囲気をお伝えできればと思う。

引き続き、横浜で一番DEEPな街、伊勢佐木町界隈を歩き回る事にしよう。

黄金町が壊滅状態になってしまい、見る影も無くなってしまった、そんな悲しい現状とはうってかわって、伊勢佐木町は胡散臭さを込めた独特な活気が漂った街の表情を見せている。

「イセザキ」と聞くと群馬の伊勢崎が思い浮かぶが、一見変わった「伊勢佐木」の地名は伊勢、佐々木、佐川という開発者の名前を取ったもの。

最寄り駅からは少々離れており、京急日ノ出町、黄金町、市営地下鉄伊勢佐木長者町、阪東橋、JR根岸線関内駅、どの駅からも結構歩かなければいけない。

私、逢阪まさよしは、現在横浜に住んでいる。

とは言っても、そんなにコアな場所ではないので、あまり横浜に暮らしているという実感がないのが現状で、しかも休日にはほとんど都内に出ているという有様で、実は横浜のことはそれほど詳しくはない。

東京や大阪とは違い、横浜というのは、幕末時代にペルリ提督率いる黒船が浦賀にやってきたころに、無理矢理アメリカの圧力で開かれた街であるというのが、なんとも特徴的である。

あの有名な横須賀米軍基地があったり、厚木、座間、根岸住宅...数えればきりがない、神奈川県内の米軍関連施設の数々。ある意味、特異な土地である。

そんな横浜のコアな街は、なんといっても「黄金町」の存在である。
まずはWikipediaにある「黄金町」の項目を見ていただきたい。

京浜急行電鉄(以下京急線)黄金町駅付近一帯は1945年の横浜大空襲で壊滅し、戦後は ヒロポンの密売所と非合法の特殊飲食店街(いわゆる青線地帯)に様変わりした。

(中略)

黄金町の特殊飲食店街は1958年の売春防止法施行後も相当な規模で存在し続けた。2000年頃までは京急線の高架下とその周辺で、高架下から排除された後は高架の周辺で「ちょんの間」と呼ばれる三畳ほどの小さな部屋で売春行為が行われていた(娼婦の多くは中国や東南アジア、中米出身の女性だった)。

横浜で最もヤバイと言われる黄金町界隈。
これを見ずして、横浜市民であるとは自慢できない。

みなとみらいや山下公園、ベイブリッジ等、お洒落なイメージで横浜を自慢するのは、甘い。
そんな上辺だけの横浜を見て、横浜を知った気になっている奴はスイーツ脳である。

「ヨコハマ」はそんなにヤワな街ではない。

京急線の各駅停車で横浜駅からわずか3つ目、黄金町の駅を降りる。
目の前が「ちょんの間」だ。

About Me

osaka-masayoshi.net

逢阪まさよし
2007年7月、「大阪DEEP案内」を立ち上げ、 サイト上にて大阪のミステリアスでタブーでDEEPなスポットを探検した記録を綴る。 その後、諸般の事情により首都圏(横浜)に移住。 関東一円の怪しいDEEPスポットの発掘作業を行っている。 2008年1月、「東京DEEP案内」を立ち上げる。
メールはこちらまで
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