大久保通りと職安通りだけを制覇して新大久保を知った気になるのは早い。新大久保の怪しさは、その2つの通りに挟まれた、車も通るのもやっとの細い裏路地にこびりつくように存在する。
治安が悪い印象を受けるがそんなに怖がる事もない。若干、ポン引きがうろついているのと、酔っ払いの韓国人がうろついているくらいだ。
日が暮れる前の大久保界隈はなんともいえぬ情緒を漂わせる。ガード下は昭和の時代から時を止めたまま独特の陰気臭さを漂わせ、今尚天に向けて伸び続ける新宿の摩天楼と対比を成している。
で、そこらじゅうにハングルで書かれた広告が。韓国人向けの賃貸アパートやゲストハウスの広告だ。先の章で挙げた「民泊」の延長線上で、さらに長期の在住者に向けて売り出している物件も数多くある。
そういった事情もあるのか、この大久保界隈の路地には凄まじいくらいにボロいアパートが大量に残っている。新宿徒歩圏とはとても思えないテンションである。そのくせに家賃相場が安いのはアパートがあまりにボロいことと、外国人だらけで治安の面で不安があるため借り手がつきにくいことと、いずれも無関係ではあるまい。
アパートも非常に多いのだがラブホテルの数もやたら多い。この特徴は隣の歌舞伎町エリアに連続しているのだが、大久保エリアのラブホテルは、やはりアパート同様ボロいものが多い。
かつては大久保界隈の公園でも韓国人や他アジア系の「ポン引き」が非常に多く出没する土地だったことから、公園にまるごと柵で区切って夜間立ち入り禁止&警察の監視小屋設置という強引な手段でポン引きの集まる公園を封鎖するという、随分大胆な光景も見られる。
その公園の名は西大久保公園という。いわばプチ天王寺公園だ。
ただでさえラブホテルの多い新大久保の裏路地であるが、中にはこんなパンキッシュな落書きだらけのラブホまで。さすがにこれはと思ったらホテルではなかった。
ラブホテルの廃墟を再利用した「THE GHETTO」という名のアーティスト・スペース。なんとも新大久保にお似合いのネーミングだ。
建物全体が「グラフィティ」の表現の場としてふんだんに使われている様はとてもカオスである。
見る人が見ればただの落書きにしかないのだが、毒々しいデザインのスプレーアートが、新大久保の怪しい裏路地に溶け込んでいる。
さらに別の路地に入ると、フツーの民家のようなところに地味にハングルでポツンと「食堂」とだけ書かれた看板が目に付く。時折人が立ち止まって見ているので、あれは恐らく店なのだろう。近づいてみる。
どう見ても民家にしか見えない店の横手には、メニュー表が並んでいる。やはり韓国料理の店だ。
表に回ると、そこでようやく民家の正体が店であることがわかる。「昔のふる里」と名乗るこの店。表の看板に目を凝らしてみようぜ。
でかでかと「보신탕専門」と書かれているのがお分かりだろうか。보신탕とはポシンタン、すなわち犬鍋の事である。やはり東京にも犬鍋を食わせる店は存在したのだ。

で、店の裏手にいるこのワンコちゃんは...ただのペットなのでせうか????
東京DEEP探検隊としては是非入ってみたい店だが、今日はひとまず退散。
最後に新大久保駅前に戻り、駅のすぐ北東側にある胡散臭い空き地の周辺を嗅ぎ回ってみた。西武線・JR線と平行して南北に走っている不自然な空き地なのですぐに目がつくだろう。
おそらく見るからに終戦直後の闇市が取り壊されて道路として整備されるように見えたが、調べてみると、やはりここには「彦左小路」という名前の飲み屋街が存在し、今でいう新宿ゴールデン街やしょんべん横丁のような薄汚い佇まいを残していたと言われる。
だが今ではそんな面影もない。
新大久保駅前の百人町界隈は所謂「ドヤ街」として発展し、山谷と同様、多くの労働者を集めた。
その名残りは今も僅かながら残る簡易宿泊所の存在。
件の空き地だらけの区域には「新大久保ハウス」が今も残っている。
終戦後焼け野原となった新宿・大久保の地に、在日実業家が興した「ロッテ」の工場が出来上がった。
さらに高度経済成長期には、在日韓国朝鮮人が占拠し闇市と化していたこの一帯に、さらに多くの労働者が流れ込み、ますますコリアタウンとしての色彩を強めていく。
今でこそ新大久保界隈はニューカマーの韓国人が目立つ街だが、このへんの風景も見ておくと、それ以前から在日社会がどっしり根付いていた土地だということが解るのである。





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