上野の隣に「鶯谷」という山手線一ローカルな駅があり、その駅前はラブホ密集地であるというレポートを以前行った事がある。
奇しくもその記事は我が東京DEEP案内の中で最もアクセスが多く、鶯谷というキーワードで検索するだけでWikipediaの次の2番目に躍り出るという異常な状況(笑)
だが一般的に鶯谷駅が活気を見せる事で知られているのは7月初旬、七夕の前後三日間に入谷鬼子母神(真源寺)周辺で行われる「朝顔まつり(朝顔市)」である。
最寄駅は地下鉄日比谷線入谷駅になるが、鶯谷駅からも近く、鶯谷駅の周辺でもシーズン前になると沢山のポスターが貼られるのを見かける。
入谷界隈では江戸時代から朝顔栽培が盛んだったようだが宅地化に伴って入谷周辺で朝顔栽培が難しくなった事で一時期廃れていたのが、戦後になって近郊の朝顔栽培業者が軒を連ねて朝顔の鉢植えを売りまくる姿が復活したのが現在の朝顔市。
入谷界隈でこれだけの朝顔を栽培するのは無理だろうということで、これらの朝顔はどこで栽培しているのかというと、江戸川区の農業試験場江戸川分場だったり、あちこちから集まっている模様。一鉢2000円程度と、なかなかいいお値段。
地下鉄入谷駅の構内にも「入谷の夏、金鳥の夏」と来たもんだ。梅雨の蒸し暑さとともに訪れる夏の気配。
織姫と彦星が年に一度出会う「七夕」の頃に咲く朝顔の花言葉は「はかない恋」とも言う。
梅雨時が続くむさ苦しい熱帯夜、相変わらず鶯谷駅周辺のラブホテルでも数え切れない程の「はかない恋」が繰り広げられている訳で、またしても私は日も暮れきった鶯谷の駅に辿り着いたのだ。
駅を降りると艶めかしい空気が頬をかすめる。駅のホームからはラブホテルしか見えない異常な景色。ちなみに反対側を見るとそこは徳川歴代将軍も埋葬されている寛永寺の広大な墓地が広がる。毎日毎晩この地においては性と死のドラマが繰り広げられている。
寛永寺に近いほうの鶯谷駅改札口には、この地名の由来が書かれていた。
江戸時代に寛永寺の住職として京都からやってきていた皇族が「江戸の鶯は声が訛っており卑しい!気に食わん!」などと言ったかどうかは知らぬが、「訛りのない」と言われる京都から3500羽もの鶯を運ばせてこの地に放した事で鶯の名所となった。それが鶯谷の地名のきっかけであるという。
時代は変わって今の東京では関西訛りの人間をやたら見かけるのですが?
遷都して江戸が東京にならなければ、もしかすると関西弁の方が標準語になっていたのかも知れませんが。
寛永寺や上野公園に近い鶯谷駅南口は、上野桜木という台東区随一の高級住宅街もあり、下町に非ず。下界のラブホテル密集地へは歩道橋を跨いで向かう事になる。
一方の駅北口を降りると相変わらず怪しげに待ちぼうける男の姿やポン引きらしきオバハンの姿が目立つ。24時間営業の食堂「信濃路」(蒲田にもある)はじめ数店舗の居酒屋等が並ぶ以外は本当に目ぼしい店が見当たらない。
時折道を通り掛かるのはラブホテルにこれから向かうカップルか、もしくは一発(数発?)済ませてすっかり出来上がってしまったラブホテル帰りのカップル、もしくはポン引き目当てに通り掛かっているとしか思えない男一人のみ。家族連れやお子様連れは皆無。
日が暮れてしまった後の鶯谷駅はラブホテルのネオンサインだけが煌々と街を照らす。素性を知られずに仕事をしたいポン引きのババアの皆さんもこれからが稼ぎ時だと言わんばかりに路地のあちらこちらに出没し始める。
さすがに目の前で一部始終を写真に収めるのは難しいのだが、しばらく「立ちんぼ」のオバハン達の生態を観察していた。
彼女らは数人の組になって同じ場所に入れ替わり立ち代わり常駐しているようだが、何も収穫がなさそうな時間帯は適当にタバコを吹かしながら現地語でお仲間と立ち話を続けるのである。
公園の入口付近でも2人組の立ちんぼグループのババアが座り込んでタバコを吹かしている姿を見る事ができる。彼女らがどういったシステムで「仕事」しているのか、傍から観察しているだけでは深く知る事もできない。
いくら違法だとかエイズの危険だとか言われても需要と供給が無くならないのが不思議なところだ。東京の魔窟・鶯谷の灯はそう容易く消えるようなものではなさそうである。





鶯谷、DEEPとくれば、期待するのは一つですね。
この街は本当に面白いです。