戦後から裏風俗街として名を挙げてきた町田駅南口の通称「田んぼ」の一帯。それは長年に及ぶ地域住民の戦いによって、つい5年ばかり前に売春街の「壊滅」という決着が着いたばかりだ。
夜毎ピンク色の明かりが照らすバラック小屋が密集する中で繰り返されていた日々、売春街を取りまとめる暴力団同士の抗争...この土地に根付いた闇はすぐに晴れる事はない。
町田駅南口の目の前を流れる境川はその名の通り東京都と神奈川県の都県境に沿っている(一部県境がはみ出ている地域が残っているが)この川に沿って、少し町田の街中を探索してみようと思う。
町田駅南口の真ん前、境川南側に広がっていた違法風俗街はその名残りを全く残していない。店の営業を行っていたバラック小屋などは5年程前に撤去され、跡地はほとんどが駐車場に変わってしまっている。
近年の町田市南口は次々と高層マンションが建てられている。「田んぼ」の存在で南口に住居を構える事を避ける向きが強かったものの、当の風俗街が壊滅したこともあって、開発にようやく拍車が掛かっている形だ。
新しいマンション街を縫うように、昔からの栗農家が残っている。一方で夜な夜な「栗の花」の香りが立ち込めていた怪しげな売春街は跡形もなくなった。
南口には10件程度のラブホテル群と、ラポール千寿閣というホテルがあるくらいでこれといった店舗もなく裏寂れているが、そこを過ぎると唐突に現れるのが印刷工場だ。
もともと町田駅南口には澱粉工場があったというが、そこが倒産。工場跡地が売春街「田んぼ」になった。それまではリアルで農作物を作る「田んぼ」と工場が連なるだけの郊外の田舎臭い風景が駅前に広がっていたのだろうか。
境川に沿って駅から東側へ移動する。ヨドバシカメラやラブホテル街から離れると、すぐにマンションとアパートばかりの住宅街へと風景が変わる。それにしても手前のアパートがやけに生活感に乏しい。
しかし廃墟ではなくちゃんと人が住んでいるアパートだった。周りが高層マンションばかりになっているのでこのアパートだけがやけに浮いた存在になっている。
アパート名が書かれた看板が落ちて下に立てかけられていた。田園コーポ。本当ならこのアパートが出来たばかりの頃は目の前に「田んぼ」が広がっていたのだろう。もちろん風俗街の「田んぼ」が。
駅南口から川沿いに歩くとやがて町田街道に架かる境橋に差し掛かる。かつては八王子などから横浜港へ絹を運ぶ道だった所謂「シルクロード」。町田はその中継地点として発展してきた。
コンクリート護岸の味気ない境川の光景はどこか気が休まらない印象がある。台風などによる大雨で度重なる被害に遭ってきたゆえに、景観よりも治水対策を重視した結果である。
上流部は東京都が管理している河川だが、下流部は相模湾に流れ込み、神奈川県の管理に変わる。
さらに境川沿いを歩くと「相模湯」という一軒の古びた銭湯が現れる。既に潰れてしまった後だろうか。錆び付いた看板と、下ろしたままのシャッターには何が書いてあるかわからない張り紙が貼られている。
町田にありながら「相模湯」というだけあって町田市自体が東京都本体よりも神奈川県相模地方に結びつきの強い都市である事が銭湯の名前にも現れているのだろうか。やはり廃業した銭湯のようで、町田市内で残る数軒の銭湯もいずれ無くなるのかも知れない。
相模湯の周辺は街の風景がやけにレトロである。近代的な駅北口の風景とはまるで対照的だ。
向かいにも古い肉屋が一軒、細々と営業を続けている。
潰れた銭湯が佇むレトロゾーンの先、境川左岸部にずらりと都営住宅が並ぶ一帯が現れる。「都営金森一丁目アパート」だ。
典型的な郊外型共同住宅といった風情の漂う、比較的新しめの物件なのだが、ここの都営住宅は2007年に「立てこもり事件」で大騒ぎになった場所だ。
公園に面した10号棟で暴力団員の男が銃を持って1階の自宅に立てこもり、その後犯人は拳銃自殺を試みるも、両目を撃ち抜いて失明したものの死にきれずに御用となった。
犯人はその直前に近所のコンビニ前の路上で同じ暴力団組織に所属していた男を射殺していた。
ちなみに町田市では1992年にも拳銃立てこもり事件が発生している。その時もシャブ中が拳銃を持って一般人を人質にしたという最悪なパターンだった。違法風俗街の存在といい、何かとヤクザやチンピラが跋扈している土地でもあるのだ。
金森一丁目アパートの周辺もごく普通の住宅街でしかない。公園では普通に親子連れが休日を過ごしているだけの平和な空間なのに、見た目には街の治安の良し悪しというのは分からないものである。












