アクアラインのせいで街全体がピエリ守山状態…氣志團の街「木更津」ストロー現象

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氣志團と木更津キャッツアイ「聖地巡礼の地」の今

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JR木更津駅西口のメインストリート富士見通りから南側、八剱八幡神社方向に伸びる「木更津銀座」に入る。関東にはよくある銀座商店街の中でもここの寂れっぷりは最強レベルである。そもそもこの銀座商店街の名称をつけた時点では当時の街で一番の商店街だったはずの場所だ。それが今はこの惨状…

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木更津銀座と名乗っているくせに、まず開いている店が見当たらないのだ。当然ながらこれを「シャッター街」と言う訳だが、そのシャッターですら錆付き具合が相当酷く建物もろとも崩落しそうな感じに見える危うさがある店舗跡もちらほら。なお、これらの写真は震災直前の2011年3月初旬撮影と古いもので、今では震災のダメージでかなりあちこち無くなっている物件もあると思われる。

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街の文化レベルの指標ともなる本屋さんだってこの通り、凄まじいレトロなファサードが印象的な「ムラヰ書店」さんもいつから店じまいしてしまったのか。昭和40年代からあるのは間違いないのだが。なお真向かいに「多田屋書店」というのもあって、こっちは現役。

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店らしい店と言えばこんな怪しげな佇まいの「明朗会計」などと書かれたネオン看板の店舗の残骸くらいか。これも商売あがったりな感じで、でかい看板とピースボートのポスターさえなければごく普通の住宅に使われている感じすらするのだが、玄関横に書かれた広告にふと目が止まった。

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そこにはぶっとい筆書きの文字で「大切な子供さんお預り致ます0~6才位どうぞ たくじしょ元気ずクラブ」(原文ママ)とベニヤ板の上にびっちり書かれていたのだ…いやあ、自分の大切な子供をこんな怪しい託児所に預けようとは思わんが…ちなみにストリートビューで見たところこの看板も無くなっていて、どうやら商売やめたっぽい。

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どうでもいいが「明朗会計」のネオン看板もうっすらかつての店舗の名残りが見られる。何度も店主が変わってその度に看板の内容も変えられたのだろう。「愛の園」「フルハウス」の文字、そして女性のイラスト…看板の跡に秘められたヒストリーを読み解け。

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そんな怪しく廃れた銀座商店街を抜けると「八剱八幡神社」の境内へ至る。木更津の街の総鎮守である由緒正しき神社なのである。どれだけ街が寂れようとも神社だけは変わる事はない。

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手水舎には八剱八幡神社公認、木更津市のご当地ヒーロー「鳳神ヤツルギ」のポスターが掲示されていた。これは地元の千葉テレビ放送で絶賛放映中の特撮テレビドラマであり千葉県民の子供の間では特に人気があるようだが救いようもない程寂れた木更津の街を救う事はできないのだろうか、活躍が期待される。

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神社に隣接する「みまち通り」。特に神社裏手の一帯は平屋建ての小さな商店が連なっていて戦後の香りがわずかに残るが、軒並みシャッター通りだ。ここも昭和の高度経済成長期あたりは買い物客が殺到して凄い賑いだったらしい。

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この「みまち通り」も木更津キャッツアイのロケ地という事で聖地巡礼に訪れるファンが居たそうだがドラマ自体も10年以上前になるし観光客も寄り付かなくなってしまった模様。商店街は歯抜け状態になっている。

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以前こちらの酒屋で木更津キャッツアイのロケセットやら関連グッズなんかが展示されていたとの事だが、我々が通りがかった時には商売もやめてしまったらしく建物自体も相当傷んでいる。ヤバイ。寂れすぎ。

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廃墟にしか見えない元酒屋のシャッターの一角が開けられていて、玄関先にはキャッツアイや氣志團関係の看板がさりげなく置かれていた。今でもちょくちょくファンがやってきたりするんでしょうかね。

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みまち通りの出口は駅前のそごう跡「アクア木更津」の裏手に通じていた。

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今度は木更津駅から富士見通りの北側へ。「切られ与三郎」という歌舞伎のお話で有名な与三郎の墓がある光明寺の手前から細い路地が伸びてます。その名も「与三郎通り」。

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この与三郎通りを入ると昭和の鄙びた商店がぽつぽつ残っていて、まだ辛うじて生き残りの飲食店があるにはある。ラーメンと焼き鳥の店が一軒。

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しかしその左隣の喫茶店兼スナックの成れの果てらしき建物が渋すぎて泣ける件。壁の丸い穴の中に鍵穴型の窓が2つ。カーテンが掛かっていて中は見えないが明らかに営業はしておらず廃墟然としている。

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一方で駅前の線路沿いに回ると「中橋食堂」というこれまた年季の入った大衆食堂があって何とも味わい深い。取材当時はまだ店が開いていたのだが、ここも2012年2月に商売をやめてしまわれたそうです。氣志團がリアルで高校生だった頃よく来てた店らしくファンの聖地巡礼スポットの一つになっていた。店舗建物ともに昭和2年から営業していた老舗だったそうだ。

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という事は中橋食堂の手前にある不良の溜まり場臭全開なゲームセンター「ラッキー」もやはり氣志團メンバーの溜まり場だったとかそういう事を想像しそうになるが地元の厨房工房のチャリンコが店の前にズラリと並んでいて寂れた駅前では珍しく活気に満ちた空間となっている。壁の「゜チンコ」の文字といい、昔はパチンコ屋だっただろうと推測。建物古そうだな。

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廃墟化してからの経年劣化ぶりが激しい作業衣料店の成れの果て。テント看板が骨組みだけになってしまっている。震災前の写真なので状況が多少違うと思われるが、木更津の街はこのような終末的な廃墟が街の至る所に残っている。

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