小型飛行機が住宅地に墜落!「調布飛行場」とその周辺の様子を見てきた

調布市

2015年7月26日、東京都調布市の調布飛行場から離陸した小型飛行機が富士見町一丁目の住宅地に墜落、飛行機の乗員と巻き添えを食らった民家の住民を含めて3人が死亡、5人が負傷する事故が発生。それ以来連日マスコミ報道が続いていて、事故直後の報道ヘリの上空からの映像で焼け焦げた被害者の遺体がそのまま映っていた件やら何やらでネット上でも騒ぎになっている訳だが、果たして現場はどんな状況になっているか気になったので調布飛行場及び事故現場周辺の様子を見てきた。

調布市 西調布

墜落事故の渦中にある調布飛行場があるのは、調布市の西北側一帯。厳密には三鷹市と府中市にも跨っていて、最寄りに鉄道駅がないので、京王線調布駅もしくはJR中央線武蔵境駅からバスかタクシーで来る事になる。飛行場の周辺に広がる「武蔵野の森公園」北側の丘の上から滑走路が見渡せる。

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東京近郊で空港と聞くとどうしても羽田空港や成田空港をイメージしがちだが、この調布飛行場は東京都が運営する小型機専用のコミューター空港である。輸送需要が限られる伊豆諸島行きの定期便が発着していて、伊豆大島・新島・神津島・三宅島の四島に定期便が就航している他、個人や会社所有の自家用機24機が運航されている。今回墜落事故を起こしたのはこの自家用機のうちの1機である。

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調布飛行場の歴史は戦時中にまで遡り、昭和13(1938)年に計画され、3年後の昭和16(1941)年4月30日に竣工。当初は「東京調布飛行場」の名称で、専ら陸軍の戦闘機の発着に使われていた。飛行場ターミナル手前の道すがらに空港の竣工当時に建造され当初の正面入口に置かれたごつい石造りの門柱が未だに残っている。

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調布飛行場という場所が第二次大戦当時に日本本土の貴重な防空拠点だった事を示す生き証人のような存在があり、それが武蔵野の森公園北側の一角に二ヶ所残されている掩体壕。敵機である米軍のB-29を迎え撃つ為に「飛行第244戦隊」の下で首都圏に配備されていた三式戦闘機「飛燕」を格納するために作られたもの。大沢一号掩体壕は開口部が塞がれて、戦闘機のイラストが描かれている上にフェンスで仕切られて立ち入り不能な状態。

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同じく大沢二号掩体壕。戦時中はこのような掩体壕が約60基造られたと案内板には書かれている。撃墜されたB-29の機体が調布市街地に落ちたり、当然ながら米軍による機銃掃射や焼夷弾などによる攻撃対象になるなどしたり色々あった訳だ。掩体壕の他、調布飛行場の周囲には高射砲陣地なども残っているらしい。戦時中の調布飛行場は戦時体制に向けて急ピッチに拡張が繰り返され、府中刑務所の受刑者や地元の中学生までもが動員されていたという。

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公園の至る所に「凧上げ禁止」「飛行機にぶつかるぞ!」の物々しい看板が立っていたりするのも飛行場そばという特殊な立地ならでは。衝撃的な飛行機事故の直後だからか、それとも単に平日だからかして、公園には親子連れや子供の姿は皆無である。

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終戦後は米軍の接収を受け、飛行場の一部は早々に日本に返還されたものの、西側一帯は代々木公園のワシントンハイツが昭和39(1964)年の東京五輪開催に合わせて返還された事で代替地として米軍住宅「関東村」が建設された後、現在は味の素スタジアムや調布基地跡地運動広場、警察大学校、東京外国語大学等になっている。で、調布飛行場のターミナルビルがある場所までやってきた訳ですが、ここって「東京都港湾局」の管理なんですね。港湾局という言葉を聞くにはあまりに縁遠い武蔵野の内陸地帯なんですが。

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調布飛行場ターミナルビルは2013年4月に完成したばかりの今どきっぽい真新しいガラス張りの建物となっている。周囲には1時間100円、1日1000円で利用可能な駐車場も充分に用意されている。

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伊豆諸島のうち調布飛行場から訪問可能なのは大島・新島・神津島・三宅島の四島のみ。いずれも新中央航空が運航していて片道11800円から17200円。最も遠方にある三宅島でも調布からわずか45分で到着する。小型機墜落事故があった26日はまるまる空港が閉鎖されて離島に用事のある人々もとばっちりを受けた。また今回の事故を受けて自家用機の発着は当面自粛となっているが、将来的には自家用機の運航停止も検討されている。

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竹芝桟橋が伊豆諸島への海の玄関口なら、ここ調布飛行場は伊豆諸島への空の玄関口。夏休み中の多忙期には定期便も増便され、利用者は殊の外多い。ターミナルビルの二階にある待合スペースには伊豆諸島のポスターもベタベタ貼られてトロピカルムードすら漂っている。

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展望デッキに出るとガラス張りとなってはいるが、滑走路や駐機している小型飛行機も間近に眺められる。伊豆諸島行きの新中央航空の小型飛行機は乗客19人乗り。夏休み中はそれぞれ四島を一日4往復。意外に結構な頻度で飛んでいるんだな。

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ターミナルビルの横っちょには空港らしく立派な管制塔もそびえている。今回の小型機墜落事故は事故機が離陸直後に起きていて、あっという間の出来事だった訳だ。

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それからターミナルビルの手前にゲートが設けられ「空港施設道路につき関係者以外の立入りを禁止します」と看板が掛かっている一画があるのだが、そんなものはどうやら建前らしく、開放されている時間帯は誰でも勝手に中に入る事ができてしまう。この奥に調布飛行場ユーザーや近隣住民に好評の「プロペラカフェ」なる喫茶店があると聞いて立ち寄ったのだが…

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「プロペラカフェ」は何故か臨時休業中で入店叶わず。その事情はすぐに察する事ができた。今回墜落事故を起こした小型機を管理していた渦中の会社「日本エアロテック」の建物内にこのカフェがあるのだ。さすがに「当事者」がのんきにカフェなんぞやってられんのだろう。カフェ内には本格的なフライトシミュレーターがあったり、飛行機好きにはヨダレものの店らしいのだが、入れないとあっては残念極まりない。現状、カフェの再開予定は未定である。

事故を受けて同社及び死亡した機長が経営していた会社「シップ・アビエーション」、小型機を所有していた会社「ベル・ハンド・クラブ」がそれぞれ家宅捜索の対象になっているが、いずれも経営者が親族関係で、3つの会社は一体との一部報道もある。この業界も色々と闇が深そうですね…

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墜落事故があった富士見町一丁目の住宅地は、調布飛行場から南東に1キロ程の場所にある。京王線西調布駅からも歩いて来れる位置にあり、すぐそばに中央道調布インターチェンジがあり、国道20号甲州街道や京王線も走っている。今回は住宅地に落ちたが、もし高速道路や線路の上に落ちていたらまた違った悲惨な事故になっていただろう。

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それにしても凄まじいマスコミ取材班の数…墜落事故の巻き添えを食らった民家の手前で非常線が貼られて立ち入り不能になっていたが、住民の女性が死亡し丸焼けになった当該民家の前にはブルーシートが掛けられ地上から殆ど見られる状況ではなく、その辺で路駐しまくっているマスコミ車両がそれぞれ10メートルくらいある中継アンテナを伸ばして逐一実況している姿があり頭上には数台のマスコミヘリも旋回中。

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一時期は6台ものマスコミヘリが調布飛行場や事故現場周囲をぶるんぶるん飛び回っていて騒音はともかくヘリ同士がぶつかって二次災害が起きたりしないか悶々としながら見ていたんですが、こういうマスコミヘリの規制って無いんでしょうかね。しかも普段からオスプレイ反対とか普天間基地は危険だとか喧伝する極左新聞のヘリだったりするので余計にどうかと思う。

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何故か今回の事故には関係のないオスプレイの話を持ち出したツイートを投稿して炎上した某政党の元市議もいましたね…杉並や武蔵野もアレですが調布もやはりソッチ系勢力がお強いお土地柄なんでしょうか。

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ちなみに調布飛行場の近隣で起きた墜落事故は今回が二度目。昭和55(1980)年、航空測量のために離陸した直後の小型機が調布中学校の校庭に墜落して搭乗していた機長を含め2人が死亡している。安全性が上がったとは言えども飛行機は落ちる時は落ちるもので、それが怖ければ空港や飛行場のそばには住まないと考えるのが普通だよな…


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