東京都/荒川区

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東京都荒川区ってどんなとこ?

概要

隅田川・荒川を跨いだ向こうの足立区のヤンキー達の仕業か?荒川区町屋の都営住宅の風景

都心の鬼門封じに置かれた上野の寛永寺からさらに日光街道を進んだ先に広がる海抜ゼロメートル地帯のド下町ゾーン「荒川区」。同じく下町エリアを成している台東区や足立区、北区とも接していて、区の面積はかなり小さい。そして日暮里の一部地域を除けばエリアのほとんどが山手線の外側にある。

荒川区は江戸時代まで江戸の外れの農村地帯であったが、南千住に江戸の三大刑場の一つに数えられた「小塚原刑場」が置かれ多くの罪人が当地で処刑され、その遺体は回向院に埋葬されたが、その状態は悪く一度雨が降って地面が流されればすぐさま土中から罪人の骨が出てきたことから「コツ通り」という通りの名前の由来にもある(小塚原のコツだとか諸説あるそうですが)など色々と曰くのついたヤヤコシイ土地が多い。

明治以降は工業化の波が訪れ都心近郊の工業地帯として徐々に発展し住宅地としても開かれていく。そして荒川区という地名なのに区内に荒川が流れていないのは、かつて荒川放水路が開削される前は隅田川が荒川と呼ばれていたからである。その荒川放水路の開削工事や、荒川区には多くあった屠場や皮革・油脂関連産業の労働力として集まったのが戦前日本統治下にあった朝鮮半島からやってきた在日朝鮮人であり、東京でも屈指の歴史を誇る三河島コリアタウンの礎にもなったのだ。

地理・環境

南千住のリバーサイド高級マンション群「アクロシティ」。警察庁長官狙撃事件(未解決)の現場

東京都荒川区は都心から5~10キロ圏内にあり、区内にはJR山手線や地下鉄日比谷線といった電車ですぐに来られる程近いが、上記に述べたように色々とヤヤコシイ土地の事情を抱えていた中で住宅地としての人気がすぐに出たわけではなかった。

昭和の時代には町工場が栄えそれなりに活気のある下町だったが住民はジワジワと区外に流出、昭和35(1960)年には28万5千人以上を誇っていた区の人口は90年代半ばに17万人台まで下落する。町工場の景気も下火になるなどして、三河島や三ノ輪あたりの商店街などに見られるように土着の老人くらいしか買い物客のいないしょぼくれた街並みのまま都市の発展から取り残された。狭い路地に密集する木造家屋群は火災のリスクも高く新住民を呼び込む魅力もてんで無かったが、90年代以降からそんなボロアパートが「家賃が安いから」とねぐらに増え始めたのはニューカマーの韓国人や東南アジア系住民だった。

一方で南千住のアクロシティや汐入地区の再開発マンション群が相次いで整備され、バブル崩壊後の地価下落もあり都心回帰の流れが強まると新住民がこぞって引っ越してきたため、区の人口も20万人台に回復。昔ながらの下町風景と今時なニュータウン的風景が新旧織り交ざった対照的な街並みが見られる地域に変貌した。

交通

荒川区から世界にひとっ飛び。新型スカイライナーで成田空港まで36分で行ける京成線日暮里駅

東京23区屈指のド下町ゾーン荒川区民の足は「都電荒川線」…ではなく、何と言っても新型スカイライナーが発着する京成線の存在が区民の自慢である。日暮里から成田空港まで片道36分で直結する電車は現在のところ最速の交通手段であり、海外への旅行や移動が多い韓国・中国・東南アジア系の外国人が交通便も良い荒川区内に好んで住むのもそのためだ。また山手線の日暮里、西日暮里駅周辺は沿線で最も家賃相場が安いエリアである。

区内には京成線の他、JR山手・京浜東北・常磐緩行線、地下鉄日比谷線・千代田線、つくばエクスプレス、日暮里舎人ライナーといった路線が縦横無尽に走っているが、荒川区自体が小さな行政区なので、区民の足がこれだといった特定的に挙げられるものは存在しない。しかしどの路線でも上野・秋葉原・東京駅といった場所に片道10分前後で行けてしまう利便性は多少荒川区がガラの悪い曰くありげな地域でも他には代えがたい魅力を有しているのも事実である。

住民の気質・傾向

未だに昭和のまんまな佇まいの酒場やホルモン屋が路地裏にひしめく三河島コリアタウン

解りきった話だが、荒川区はどこからどう見ても「下町」でしかない。古い世代は町工場が盛んだった頃のガラの悪さ丸出しでおおよそ都市文明とは程遠い世界に取り残されているが、若い世代もその多くは町工場勤めの下町気質だし日本語がうまく話せない外国人住民も多い。

それに三河島のような在日コリアンが多く住む地域や、荒川八丁目のような特殊工業地域を抱える土地柄だけに朝鮮総連や部落解放同盟といった各種マイノリティ人権系団体の力も強く地域で政治力を発揮している一方で小坂英二区議会議員のような逆張り的キャラクターもいる区政のバラエティぶりも荒川区ならではの特徴か。

いずれにせよ荒川区自体がコアな下町で今まで開発の波に取り残されてきたということもあって、都電荒川線のような路面電車があったりあらかわ遊園のような昭和風情の遊園地が生き残っていたり、安くて旨い街の中華料理屋や駄菓子感覚のおやつもんじゃを出すお好み焼き屋なんぞが路地裏のそこかしこに生き長らえている。「昭和」がお好きな方であれば楽しく住めるのではないでしょうか。

荒川区にはこんな街がある

JR線沿線

山の手と下町の境界線、日暮里駅前を走るJR各線の線路

(1)日暮里:荒川区が誇る大型ターミナル駅。成田空港行きスカイライナーも発着する京成線の他JR山手・京浜東北・常磐線、日暮里舎人ライナーの始発駅もこちら。駅の東側は繊維問屋街とコリアタウン、西側は唯一山手線内側の荒川区で谷中の寺町と「谷中銀座商店街」が広がる。
(2)西日暮里:地下鉄千代田線と直結する常磐緩行線沿線住民の便宜を図るためだけに作られた駅。隣の日暮里駅からの駅間が超絶短い。駅西側は有名進学校開成中学・高校、マンション名に「道灌山」が多用。駅東側は水泳選手北島康介実家の肉屋が有名。山手線沿線で最も家賃相場が安い。
(3)三河島:常磐線の駅は戦後国鉄の大惨事三河島事故で有名。東京屈指の歴史を誇るオールドコリアタウン。閑散とした駅前商店街に取り残されたような朝鮮マーケット。路地に入ると韓国料理屋、焼肉、ホルモン酒場多数、路地裏に入れば朝鮮総連や朝鮮学校もあるガチっぷり。
(4)南千住:ドヤ街山谷の最寄り駅、駅前には小塚原刑場の歴史を留める回向院と首切地蔵。コツ通りなる奇妙な名前の商店街。場違いな高級老舗うなぎ店「尾花」のうな重一杯でドヤに3泊できます。そんなドヤ街もその一部が荒川区南千住である。汐入地区再開発でファミリー層大量流入。
(5)尾久:駅前は北区だが少し歩けば荒川区西尾久。荒川遊園地なども徒歩圏。

地下鉄線沿線

駅前にどでかい葬儀場のある千代田線沿線の穴場タウン「町屋」

(6)三ノ輪:駅前は台東区だがすぐ北側が荒川区南千住。吉原遊郭の投げ込み寺として有名な浄閑寺も荒川区側にある。
(7)町屋:千代田線、京成線、都電荒川線が乗り入れる荒川区きっての庶民派タウン。駅前のランドマークは「町屋斎場」。パチンコ屋と焼肉屋と共産党ポスターがやたらと多いのが特徴的。路地に入ると木造長屋が迷宮の如く入り組む。地元民にしか読めない「第○峡田小学校」。

都電荒川線沿線

歩くのが面倒ならサクっと乗りましょう「都電荒川線」。乗客はほとんど老人しかいない

三ノ輪橋:都電荒川線終点。庶民派アーケード街「ジョイフル三の輪」、個人商店中心で良いイキフン。しかし土着主婦向けの営業時間で夜が早く勤め帰りのサラリーマンにとってはさっぱり使い物にならない。
荒川区役所前:ガツ盛り過ぎる中華料理屋「光栄軒」とミニチュア模型メーカー童友社が有名。荒川区役所は庁舎が古臭い。
荒川二丁目:三河島水再生センターの真上に広がる荒川自然公園を歩いて荒川八丁目の特殊工業地帯へ。あまりお目にかかれない「胞衣工場」や皮革油脂関連の各種工場が稼働している。
熊野前:日暮里舎人ライナーはこちらでお乗り換えとなります。首都大学東京荒川キャンパスがある。
宮ノ前:場末感漂う女子医大通り商店街から路地に入るとかつての尾久三業地。阿部定事件の現場となった待合も現存せず。足立区江北に移転予定の女子医大東医療センターは地元民による移転反対運動が起きている。
荒川遊園地前:東京23区唯一の公営遊園地「あらかわ遊園」の最寄り駅。大正11(1922)年創業の超老舗。以前は煉瓦工場跡地でその名残りの煉瓦塀が一部現存する。
荒川車庫前:都電荒川線の車庫がある。

荒川区に関係する何かを適当に並べた

日暮里七景 〜「Paddyウォーク」シリーズ〜

都電荒川線各駅停車 (カラーブックス (613))

日暮里・舎人ライナー/都電荒川線 [DVD]

阿部定事件―愛と性の果てに (新風舎文庫)

荒川の部落史―まち・くらし・しごと

小塚原刑場史―その成立から刑場大供養まで

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