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神田駅近くに存在する戦後の闇市風情漂うガード下横丁「今川小路」

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やはり神田はサラリーマンの街なので、日曜日の駅前商店街は閑散そのものだ。しかし神田駅前という場所は東京駅や皇居にも程近いにも関わらず随分と俗っぽいのが目に付く。

神田駅西口商店街の入り口には「神田の街から違法客引きを追放しよう!」と書かれた横断幕がでかでかと張られている。

確かにやたらめったらアッチ系の店や無料案内所が目立っているのだ。隣の東京駅とはどえらい違いである。

しかも警察屋さんまでこんな目立つ看板が置いてはりますけど…

中国語と韓国語で併記している点を見ると、すぐに特定アジア系外国人のポン引きが流行っているということが見てとれる。鶯谷やら池袋あたりも結構キテるが神田は知らなかったなあ。

風俗店だけではなく個室ビデオ店もやたら多かった。首都の守りは意外にゆるゆるのようです。

そんな「首都の裏玄関」神田の歴史を感じさせる場所が、神田駅から東京駅方面に少し進んだ、JRの高架下にひっそり残っている。

立派でレトロな煉瓦造りの高架橋を眺めながら神田駅から南に行くと、細い路地の向こうになにやら看板が見えてくる。

導かれるように先に進むと、急に凄まじい路地裏空間が出現した。

「白旗橋ガード」「西今川町橋高架橋」

…どちらの名称も古い地名に基づいたものなのだろうか。

「今川小路」と書かれた看板の前には、物凄く古い高架下民家が軒を連ねており、見た目にただならぬ異様さを放つ。

どうも建物を見る限り居酒屋兼民家の体をなしているように見える。

が、この場所が東京駅の目と鼻の先にあるという事実を今ひとつ飲み込めないでいる。

…地味に公明党やピースボートのポスターも貼られている。

高架橋建築自体はJRが土地を所有しているはずだが、あまりに長い年月が過ぎておりJR側の構造物と民家の構造物どっちがどっちなのか訳のわからない状態になっている。

「今川小路」と呼ばれるこの高架下横丁には現在も十数軒程の居酒屋兼民家が立ち並ぶ。

東京駅近く、超一等地における最後のカオス空間かも知れない。

この高架橋の上を行き来する通勤都民のうち今川小路の存在を知っている人間は一体どれだけいるのだろう。

特徴的なのが、JRの高架の幅が長い為に民家兼居酒屋の玄関が高架下に平行してではなく、高架下の中両側に向き合う形で設置されていることだ。

よくある話、隣の敷地にマンションが建設される時に日照権がどうたらという話で住民とデベロッパーが喧嘩を起こしたりするが、この今川小路の民家兼居酒屋はそんな甘っちょろい次元の建物ではない。完全に24時間日照権ゼロゼロ物件である。

洗濯物を干してもきちんと乾くのか?

だが時代が流れすぎてしまっていたのか、この今川小路の民家兼居酒屋の建物も半分以上が廃墟と化しているようだ。

空き家の表札には在日韓国・朝鮮人の苗字が掲げられていた。

戦後のドサクサ系物件であることは間違いない。

「五月荘 コノ奥」

と指し示されたアパートは今はもう存在していないようだ。

壁の崩落も激しく次に地震が来たら間違いなく崩壊しそうなオンボロ家屋である。

東京にも色々と駅前戦後ドサクサ系物件が存在するが、まさに神田今川小路はそれらの中でも王者の品格を漂わせている。また日が暮れた頃に来ようか。

線路の上を走っているだけでは決して見えない東京のもうひとつの顔。

東京においてDEEPな風景は、表向きには分かり辛いように思える。

大阪だったら鶴橋や新今宮に行けば車窓からでも十分DEEPさは伝わるんだけど、やっぱり東京は電車から降りてみないとね。とりあえず今回、神田駅前は凄いという事はよくわかった。


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東京DEEP案内の管理人です。2008年の開設以来、首都圏一都三県の街歩き情報を淡々と記録し続けております。いわゆる日陰者的物件、観光地にもならない場所、ちょっとアレな地域を見物・考察する事を趣味としております。2017年6月15日、単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を発売。
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