神田駅の高架が超絶パワーアップしている件

久しぶりに神田駅前を通り掛かると、馴染みだったJRの高架線路が随分ド派手に変貌を遂げていた。ビジュアル的に今しか見る事ができなさそうな感じなので色々と見て回ってきた。

これまで東北・上越新幹線、それに山手線と中央線快速の3つの路線が走っていた高架の上にさらに「東北縦貫線」という新しい高架が作られているのだ。現在上野駅止まりとなっている宇都宮線・高崎線及び常磐線がこの新しい線路を通って東京駅まで繋がる予定だ。



それはいいが高架工事中の構造物がかなり特殊で目を引く。なにせ運行中の新幹線の線路上で工事をしているのだ。都心のど真ん中に唐突に現れた巨大鉄筋構造物はまるでどこぞの合体ロボが街を襲来したかのようにも見えてインパクト大。てっぺんの高さは周囲のオフィスビルと肩を並べている。

線路の東側に沿って続く商店街から工事現場を眺めると二重高架にパワーアップしようとしている姿をまじまじ見る事が出来よう。見た目の圧迫感も倍増。
元々上野-東京の区間は1991年の東北新幹線延伸開業時まで在来線の東北常磐方面からの線路が存在していたのだが、土地が無かったのでやむなく線路を撤去して新幹線用地を確保していたのだ。んで20年以上経って、山手・京浜東北の通勤ラッシュの混雑も酷いし不便だしという事でやっぱまた繋げ直すわ、というのがこの工事。

以前は駅周辺に二重高架化に対する地元民の抗議ビラがあちこち貼られていたのだがいつの間にか無くなっていた。20年前には新線作りませんと確認書を交わしたのに約束を反故にされたニダ!謝罪と賠償(ryという怒りの表明だったのだろう。結局押し切られたみたいだけど。

工事区間には作業の進捗状況やら工程表などが掲示されている箇所がある。来年2013年度完成予定で工事がガンガン進められている状態だ。宇都宮線や常磐線方面から不便な通勤を強いられているサラリーマンの皆様の為に一刻も早く線路を作らなければならないと必死なのである。
ちなみに東北縦貫線完成時は上野駅と東京駅の間に中間駅は出来ず、秋葉原駅はハブられてしまった。駅のホームを作るスペースがないんだって。

しかしこれだけド派手に工事しまくっていたので我々取材班には一抹の不安がよぎった。神田駅と言えばあの明治末期からある赤レンガのオンボロガード下の風景。それが無くなるのでは…と思ったのだが、どっこい健在。

立ち食いの超老舗「神田そば」もまだまだ現役バリバリで営業しておりました。かけ240円、トッピングも40~60円と都心一等地のオフィス街では奇跡的なお値段異常。お近くにある有名な「かんだやぶそば」の恐らく10%少々の出費で腹いっぱいになれる事でしょう。

オンボロガード下飲食街の上には工事中のプレートがガッチリ組まれていて味わいのある赤レンガが見えなくなってしまっているのが残念。

ギトギトに汚れた居酒屋の排気口が年代の重みを物語る。恐らくこの様子から見ると速攻潰されてエキュートとやら甘ったるい店に変わるような事も当面は無さそうである。

神田の高架下には戦前戦後の時代が、その上には昭和の時代が、そして一番てっぺんには平成の時代が乗っかる事になるのか。「日本最古の地下街」こと銀座線神田駅の須田町ストアも消滅したし、この場所だけはなんとか生き残ってもらいたいもんだね。

そう言えばもう一ヶ所気になる場所があった。神田駅から東京駅方面にやや外れた場所にあった「今川小路」なるガード下飲食街の存在だ。さすがにここは東北縦貫線の工事の影響で解体されるのでは…と半信半疑だったが、ここもまだ残っていた。

今川小路に入ってみるとこの通り、何の変化もございません。こんな空間が神田-東京間にあるって信じられますか?

この今川小路は戦後の昭和26年辺りから出来た横丁なのだが、その前年までは龍閑川という川がここを流れていて、それが戦災復興の一環で他の河川と共に戦災で出た大量の瓦礫で埋め立てられて道路となった所にドサクサ紛れにバラック酒場が出来た名残りである。現在では数軒程が細々と商売を続けているだけだが、いまだ現役。
ところで神田神保町三丁目にあった九段下ビルの旧称「今川小路共同建築」ってここと何か関係あるのでしょうかね。

今では取り壊されて無くなった家の表札には在日韓国人の名前が書かれていた。戦後のドサクサでここが出来たのには違いないが、家の跡地にはもう何も出来ないと思っていたのに新しいプレハブ家屋が出来ていたのは意外だった。どうやらこの今川小路、東北縦貫線の工事ごときで終わるようなヤワな横丁ではないようですよ。

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