【川崎市】川崎臨海部・池上町に残る不法占拠地帯コリアタウン「群電前」探訪 

川崎市川崎区

工業都市・川崎の裏の歴史を物語る、数少ないバラック集落「池上町・群電前」にやってきました。ここまで来るのに京急川崎大師駅より徒歩30分か、殆ど電車が来ない南武支線の浜川崎駅より徒歩15分、もしくは川崎駅から市バスに乗って桜本停留所で降りて徒歩10分。いずれにしても交通便はすこぶる悪い。

全国各地の工業都市と呼ばれる下町は軒並み寂れ無残な姿を晒しているが川崎とて例外ではない。ましてや下町の中でも外れの外れにある「群電前」の住宅街は戦後を今にひきずるような風景が忠実に残されている。

池上町の路地に入ると、噂に聞いていた「オンボロバラックだらけのスラム街」といったような悲惨さはなく、むしろ建物は普通の下町のそれ同様のものとなっている。もっとも過去に遡れば凄まじい状態だったようだが…

しかし一部の民家は見事に廃屋と化している。長い年月をかけてじわじわとゴーストタウン化が進んでいる事は確かなようだ。

池上町の場合は住宅街の奥に行けば行く程、路地の道幅も狭くなる上に複雑さを増す。民家自体はまともなものが多いがよく見ると建物の向きがみんなバラバラになっていてやはり不自然さを感じる。航空地図を見ればより実感できるはずだ。

国土地理院の航空写真(2007年撮影)で池上町付近を見るとこの通りである。一言で例えるならば土地の狭い離島を訪れた時の町並みのようでもある。区画整理というものとは生涯無縁の地域であろう。

家々の玄関がみんな別の方向を向いている奇妙さもさることながら、バラック民家の数も依然として多い。同じ在日コリアンの不法占拠問題という”戦後処理案件”で槍玉に上がる京都府宇治市の「ウトロ地区」や兵庫県伊丹市の「中村地区」なんかもこれに近い雰囲気があった。

打ち捨てられたまま年月が経過した木造バラックは風に煽られる度にギシギシと音を立てて道行く人を威嚇する。自然崩壊も時間の問題だろう。京浜工業地帯のど真ん中で廃村探検が出来るなんてこの場所くらいしかない。

奥に行けば行くほどバラック率と道の狭さが際立つ。車も通行するのにやっとという幅だが、それでも住民の車所有率が高く、地区内を歩いていると時折住民が車を出しているのが目に付く。まあ交通不便な場所だからな。

人が住んでいるバラック民家を見るたび興奮してしまうのだが、終戦直後の焼け野原の時代にはどこにでもあったであろう街並みだったはず。だけどこの場所だけが半世紀以上過ぎているのに何も変わっていないというだけのこと。

池上町内に意外に多いのが普通のアパート群である。おそらく一般向けの賃貸住宅であろう。不動産屋に頼めば貴方も池上町の住人になれるかも知れないが、先ほどのゴミ出しにうるさいオッサンとの攻防を覚悟しなければならないだろう。

もっとも集合住宅タイプの家も総じて廃墟化が進んでいる。もうひと世代後には街そのものが廃墟になっているかも知れないが、果たしてどうなることやら。

あと、深刻だと言われていた大気汚染は昔ほどではなく、産業道路からの排ガスが多少気になる程度である。最も酷い時代には玄関口に繋いでいた飼い犬の毛が真っ黒になったりするほどのものだったと言われている。それでも工場に仕事があるから人々は暮らしていけたわけだ。

しかし今となっては町内にあったはずの商店もこの通り廃墟のまま放置状態となっていて見るも無残。おそらく買い物するときは産業道路を挟んだ向かいの桜本商店街にまで足を運ぶのだろう。

むしろ人影よりも猫の数の方が多いかも知れない「群電前」の街並み。元々、戦前期に日本鋼管の工場に電気を送っていた「群馬水電」があった事が地域名の由来になっているが、今の時代に「群電前はどこですか?」と道行く人に尋ねても通じるとは思えない古さを感じる。

ふと見上げたら、目の前の建物が「韓国会館」だったことに気づいた。やはりここは川崎コリアタウンの歴史を生々しく物語る土地なのである。

Mobb Life

最近の川崎でアツいのが、当地出身メンバーのHIPHOPグループ「BAD HOP」の存在。メンバーの何人かがまさにこの池上町の出身で、2015年に起きた「川崎中1男子生徒殺害事件」で再び悪い意味で話題になった川崎臨海部特有の殺伐とした世界観を歌い上げている。

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