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戦後の残照、川崎市幸区「戸手4丁目12番地」多摩川河川敷不法占拠バラック村はいま

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川崎市幸区「戸手4丁目12番地」の多摩川河川敷、ここに在日コリアンを中心に集住していた不法占拠バラックがあったという話は以前から知っていたが、2007年に立ち退きが終わり、跡地は殆どマンションに建て代わったという情報を聞いていて、もうすっかり殆ど見るものもないと思い込んで行かなかったのだが、先日近くに寄る機会があったのでどんなものか行ってみる事にした。

川崎市 戸手四丁目

この戸手四丁目という場所はJR川崎駅から徒歩20分程度で、自転車があれば不便のない距離にある。かつては多摩川の砂利採取事業が行われていてその運搬を主にしていた川崎河岸駅という貨物駅もあった場所だ。その労働力として戦前から在日朝鮮人が集まる素地があったという、そういう土地である。近くには河原町団地という高度経済成長時代に建設された巨大団地なんかもある。

川崎市 戸手四丁目

多摩川河川敷沿いに走る車道は交通量もかなり多く、そこから土手を越えた向こうにその不法占拠バラックの成れの果てがあるという。土手の下にある事からそのまま「土手下」などとも呼ばれていたそうだが、今この土地にあるのは…

川崎市 戸手四丁目

首都圏一円で手広く古紙リサイクル業を展開する「株式会社木下」の工場である。秋葉原とかにも系列の工場があるこの業界では大手の会社だが本社はこちら戸手四丁目。しかし気になる不法占拠バラック村の成れの果てはこの工場の向こうにあり、他に入れる道が見当たらない。一体どこから入ればいいのか悩んだのだが…

川崎市 戸手四丁目

どうもこの紙リサイクル工場の敷地を突っ切らなければ集落には入れない事が判明した。大量に積まれた古紙ブロックの山が取り囲む工場の通路に少しお邪魔して見させてもらう事にした。

川崎市 戸手四丁目

紙リサイクル工場の敷地を跨いだ先にさらに町工場が僅かに残っていて、これは他業種のリサイクル屋だろうか放棄されたステンレス浴槽やら廃タイヤやらガラクタ類が山積みになった一角を横目に抜ける事になる。リアルパッチギワールド始まりましたね。昭和の世界ならここでうんこ座りでたむろする朝鮮学校のヤンキーとエンカウントしてボコられるのだろうが、別に何ともなかった。

川崎市 戸手四丁目

現在の戸手4丁目12番地に残る僅か5軒、トタン張りのバラックで出来た昭和の残骸、プチ鉄工団地である。このうち何軒か稼働しているかはよく分からない。完全な廃墟という訳ではなさそうだ。

川崎市 戸手四丁目

そしてその真向かいには戸手四丁目不法占拠バラック村の象徴と言っても良い、トタン張り二階建ての簡素な建物のキリスト教会がそびえている。「日本キリスト教団川崎戸手教会」と書かれた割と真新しい看板と、その上にもう一つ「戸手地域活動センター」の看板が掲げられ、屋上には十字架が立っている。

川崎市 戸手四丁目

さらに建物を横から見る。河川敷の不安定で地盤の弱い土地に無理くり建てているのが丸わかりである。多摩川に面した側はほぼ高床式で土台に足場が器用に組まれている。これまで豪雨災害に遭った事は無かったのだろうか。

川崎市 戸手四丁目

事前に航空写真で確認した限りでは、この教会の先にちょろっと民家と工場が残っているだけで集落が途切れていた。2007年の立ち退き前まではこの辺にもびっしり集落が形成されていて焼肉屋まであったようだが、殆どが取り壊されて無くなった。しかし、あろうことか工事用のトラ柵に「ゴミの収集日」の看板が括りつけられている。市がここまでゴミの回収にやってくるという事か。

川崎市 戸手四丁目

トラ柵に両脇を塞がれた未舗装の悪路の向こうが僅かに残る住民の家という事になる。一体この場所での生活とはどんなものなのだろう。

川崎市 戸手四丁目

部外者を拒むかのように奥に入り組んだ未舗装の路地に意を決して近づいていく。まず右手に一軒。二階建てでそこそこ大きい家屋があり、これはアパートか現場作業員の寄宿舎かといった印象。一台、自動車が停められている。住民のものだろうか。

川崎市 戸手四丁目

さらにその向こうに入ると同じくトタン張りの二階建ての家屋がもう一つ、玄関か勝手口が二ヶ所取りついている。奥には洗濯物が干された民家もあり未だに生活臭を匂わせる事に驚きを感じる。戸手4丁目12番地の不法占拠バラック村の住民が全て立ち退いた訳ではないというのはここまで見た限りでは確実である。

川崎市 戸手四丁目

今度は多摩川河川敷側に出てこの地区の全体像を把握してみよう。雨が溜まって沼のようになった一画にブルートタンで覆われた朽ちかけの小屋が残っている。紙リサイクル工場関係のものか。

川崎市 戸手四丁目

そして反対側から見た「川崎戸手教会」。なんと、家屋の大部分が目の前の池に突き出しているではないか。もはや東南アジアで見かける水上家屋と呼べそうなレベルの代物である。

川崎市 戸手四丁目

建物の足元をよーく観察してみよう。器用に建設用の足場や木材などで建物を辛うじて支えているのである。よく今まで倒壊せずにいられたものだな…この場所はかねてから多摩川がカーブする部分に面していて大雨で増水すると浸水被害が酷かったらしいのだが。

川崎市 戸手四丁目

この一部分残されたバラック村を外れるとその南側はやけに綺麗なマンション群がズラーリという対照的な光景が拝めるのである。「アクアリーナ川崎」とかいう名前の分譲マンションで2008年秋に完成している。総戸数395戸、計3棟で最低価格帯はほぼ4000万円台から、となかなか値が張るが完売だそうだ。マンションの手前は既にスーパー堤防が整備されていて、現在も造成工事中。そのうち残るバラック村も解体されるそうだ。

川崎市 戸手四丁目

多摩川を跨いだ向こうは東京都。向かい側にもホームレス達が住まう小屋がずらりと立ち並んでいて、都会の辺縁の貧困を未だに匂わせる水辺の光景。ちなみにマンション地帯と化した戸手四丁目河川敷バラック村のかつての住民は一世帯あたり約2700万円という多額の立ち退き費用をもらったそうで、一部ではゴネ得だの何だの非難されていますが、不法占拠でも20年住んでれば「取得時効」だとして居住権を主張出来てしまいますのでねえ。

ちなみに戸手四丁目がこうなったのは戦後すぐではなく、昭和34(1959)年の伊勢湾台風後の数年間までだというのだ。昔の航空写真を見れば、川崎駅近くにわたって1キロ程度不法占拠バラックが連なっているのが分かるだろう。


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東京DEEP案内の管理人です。2008年の開設以来、首都圏一都三県の街歩き情報を淡々と記録し続けております。いわゆる日陰者的物件、観光地にもならない場所、ちょっとアレな地域を見物・考察する事を趣味としております。2017年6月15日、単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を発売。
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