ゲリラ豪雨の猛威・北区堀船二丁目の冠水現場(2010年)

時事・災害

近年さかんに聞かれる「ゲリラ豪雨」という言葉。集中豪雨と同じ意味だが、ニュアンス的には少々違っていて、突然雨雲が現れ局地的に短時間で猛烈な雨が降るという事で予測が困難で、そのため突発的な水害に対処出来ず被害が広がってしまう。

その様子が「ゲリラ」と表現してしっくり来る事から言葉が一般化している。

近年東京を襲うゲリラ豪雨では、2008年に雑司ヶ谷で下水道工事中の作業員が流され5人が死亡する事故をはじめ、殆ど毎年何らかの被害が発生している。

東京という都市は、東側の海抜ゼロメートル地帯は別として「山の手」という地形の特徴があることから平地ばかりの大阪あたりと比べても水害のリスクが高い。金持ちが住むような高台は水害とは何の縁もないわけだが、台地から谷底に水が一気に集中する構造が、下流域や谷戸地に突発的な被害を起こす事もある。

大雨の時に雨水が集中する神田川や石神井川といった都内の川は洪水を防ぐ為にその多くが物々しいコンクリート護岸に覆われ、いずれも深い谷底を流れている。安全にかつ速やかに下流に排水させるためだ。

2010年7月5日夜に東京を襲ったゲリラ豪雨では、北区堀船の石神井川が氾濫して多数の浸水被害があった。

JR王子駅前で暗渠から顔を覗かせる石神井川は、とても水が溢れ返るようには思えない程深いコンクリート護岸の下を流れているが、これがゲリラ豪雨ともなると一気に水かさが増すのである。にわかに想像しがたい。

石神井川の氾濫があった北区堀船の溝田橋までやってきた。浸水被害があった翌日に訪れたのだが、歩道の上は川の水が運んできたであろう土砂が一面に残っていて生々しい。幹線道路である明治通りも冠水してしまい交通網は寸断された。

特に石神井川に近いマンションや事務所などは水に浸かった家財道具等を運び出す作業や、排水・消毒作業に追われる人々の姿でてんやわんやである。当然商売にならないため店舗は臨時休業。

水害に遭って気の毒なことこの上ない訳だが、実はこの付近は5年前の台風の時にも同じように浸水被害を蒙っている。今回で2度目なのだ。

明治通り沿いの児童公園は浸水によって地面がガタガタに波打っていた。見るからに凄まじい。

そして驚いたのが児童公園の奥にあるマンションのフェンスがコンクリート塀ごとなぎ倒されていた事だ。溝田橋付近から溢れた水がマンションの敷地に貯まり、水の力でコンクリート塀を破壊して児童公園に溢れ出したようだ。

そのマンションの入口は石神井川に近い側にある。川の水が一気に流れ込んだのだろう。1階部分の部屋は全室床上浸水、どの部屋も玄関が開けっ放し、水に浸かった家財道具を引っ張り出す作業に追われていた。

住民も気が気でない表情で、そんな様子をマスコミ各社も取材中。

容赦なく積み上げられていく、水を被った家財道具群。災害は忘れた頃にやってくる。水の勢いを考えると人的被害が無かったのが不幸中の幸いである。

今回の水害は溝田橋付近の石神井川の氾濫で起こったものだが、現場を見に行った。ここもフェンスが水の力でなぎ倒されている。これだけ高い堤防も平然と乗り越えてしまう水の力は恐ろしい。一応土嚢が置かれているが、何の気休めにもならないだろう。

上流の板橋区や練馬区あたりから降った雨が石神井川下流に集中する。下流で最終的に隅田川に注がれるが、ここ溝田橋付近では何度も川がカーブしているため、川が氾濫しやすいのだ。

フェンスに大量のゴミや枯れ草が絡まっているのが見える。つまり氾濫した水がこのゴミ溜りの高さにまで溢れ返った事を示している。そのフェンスの向こうにあるのが、今回被害甚大だった倉庫の敷地。

堀船界隈は明治通り沿いにはマンションが立ち並ぶ一方で、路地裏に入ると古い木造住宅やアパートが並ぶベタな下町。さらに倉庫や物流センターが多い。

特に石神井川の真ん前にあるこの倉庫はたばこ卸業者のもので、80億円分のたばこの半分が水に浸かってしまい売り物にならなくなった。水が退くまで従業員も一時取り残されたそうだ。

溝田橋付近は現在も首都高による高速道路の整備と平行して、石神井川の護岸改修工事が続けられている。

ちなみに5年前にもあったという水害は、溝田橋付近の工事現場で置かれていた仮設護岸が水の勢いに負けて発生したもので、過失のあった首都高が住民に被害補償を行っている。今回の水害の原因に工事は関係ないそうだが、またしても起こった水害に住民には工事への不信感が募っているようだ。

ともかく川のそばに住むのがリスキーなのは間違いないですが…


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