昭和の巨大団地とダイエーがある街・板橋区「西台」のお安い街並みを拝見する

板橋区

都営三田線で行く東京の最果て、高島平団地やその他大規模団地群と工業地帯が広がる板橋区北部の志村地域に属するド下町ゾーンが目下のところ興味深い今日この頃であるが、今回は都営三田線車庫と一体化する巨大団地「都営西台アパート」がそびえる西台駅付近をうろうろしてみようと思う。

西台駅は終点の西高島平駅から3つ手前にある。こう見えても偏差値40~50前後の「大東亜帝国」に分類される大東文化大学板橋キャンパスの最寄り駅でもあるがとても学生街でもないしアカデミック感が皆無なのが板橋区の宿命である。山手線の乗り換えがある巣鴨駅から片道17分…遠い…

もともとは志村西台町という地名だったために西台という駅名がついたが、当地は地名の由来となっている高台の下の低地でしかなく住居表示実施で駅周辺は高島平一・九丁目および蓮根二・三丁目になっていて、肝心の「板橋区西台」は駅から相当離れた高台の上に位置している。都営地下鉄の数少ない地上区間にあたり、地下鉄車両は高架線路を走っている。

未だに昭和感丸出しな西台駅東口改札。昭和43(1968)年の都営三田線開通時からほとんど大きな改装工事が加えられていないようだ。やはりこのへんが民営化した東京メトロとは違うところだ。しかも板橋区の末端部の存在感皆無な駅にカネなど掛ける気もないのだろう。まあでもホームドアはきちんと整備されているので良しとしよう。

西台住民の暮らしを支える駅前のダイエー

そんな西台駅東口改札を降りる人々の動線は目の前の横断歩道を渡った先の雑居ビルの中央通路に流れていく。そこは商業テナントとマンションが一体化した駅前のランドマーク的存在「サンビスタ西台プラザ」なる建物だ。

このビル内の中央通路を通って、その先にあるダイエー西台店や住宅地に向かう通行人の姿が絶えない。中央通路にあるのは不二家や京樽やら餃子の王将といったチェーン系の食い物屋ばかりでお世辞も個性的とは言えない仕様。

二階も居酒屋やスナックなんかが並ぶ飲食街になっている…と思って階段を登って二階に上がるとこの通りアコム、アイフル、プロミスと消費者金融無人店舗三連コンボの御見舞を食らう羽目になる。やはり今も昔も金貸しはビンボーな街ほど栄える業種である。

そんな貧乏臭さ漂う駅前プラザを抜けるとその先にある一際大きな二つ並んだ建物が西台住民の生活の要となっているダイエー西台店だ。昭和53(1978)年の開業から続く老舗店の一つであり城北エリアでは赤羽店と並ぶ旗艦店舗となっている。イオングループに飲み込まれその姿を変えつつあるダイエーだが、西台店は頑なにダイエーの看板のままである。

ダイエー西台店の特徴となるのが、西館と東館を三階部分で繋いでいるこの二本の渡り廊下の存在だ。両方の建物の間のスペースがちょっとした広場になっていて、原住民の溜まり場となっていたり、せわしなくチャリンコが行き交っている。西台駅付近で最も栄えている一画と言っても良い。

ダイエー西台店前の高島通り沿いもダイエーの客を当て込んだ個人商店がずらりと立ち並んでいる。チャリンコがめちゃくちゃ多いことといい、雰囲気は関西の下町に通ずるものがある。だが鼻先を掠める豚の臭いが近くにあるラーメン二郎西台店(駅前高架下から移転)であることを知ると、やはりここは東京の外れの下町以外の何者でもない。

同じく団地だらけの街である江東区大島のダイエーもそうだったが、西台のダイエーもさぞかし近所の団地住民であろうオッチャンオバチャン連中の溜まり場となっている。まだ自転車でスイスイ来られるうちなら良い。都営西台アパートという隔絶された空間から杖や手押し車が無ければ動けないような後期高齢者はこのダイエーに来ることすらままならないのだ。

ダイエー西台店内の渡り廊下の上はベンチが置かれ買い物客の休憩スペースにもなっているのだが、そんな場所にこのような注意書きが置かれているあたりがかなりガチっぽい。飲酒・ごろ寝をやらかすジジババが多いということだろう。暇さえあればどこでも酒盛りするのが下町のご老人達だ。

西台駅前のレジャービル「トミコシ会館」

ダイエーとでかい団地と地下鉄車庫以外は大して何もなさそうに思える西台駅前の一等地にそびえるレジャービル「トミコシ会館」。なかなかな土着感を放っている建物で、ボウリング場やパチンコ屋、千円のランチバイキングをやっているでかい中華料理屋や商業テナントが一通り収まっている。昭和の巨大団地が見下ろす街は、昭和のレジャーもまた健在。

ボウリングブーム全盛期の昭和48(1973)年に開業した「トミコシ高島平ボウル」。毎月13日はトミコシデーと称して1ゲーム300円(通常期は500円)でプレイできる激安ボウリング場でもある。こんなところまで激安なんですね板橋区って。

元日本赤軍メンバーがさきいかを万引きして捕まった街

板橋区高島平地域が団地だらけゾーンで貧民の巣窟になっていることには既に触れているわけだが、こんな地域で2005年に起きたのが、元日本赤軍メンバーによる「板橋さきいか万引き事件」である。当時64歳の元日本赤軍メンバー・山本万里子が板橋区内のスーパーでさきいかを万引きし高島平署に逮捕されたことが報道された。有印私文書偽造・行使罪で有罪判決を受け執行猶予中に起こしたもので、山本は板橋区内のアパートで生活保護を受けながら一人暮らしをしていたとされる。

一部ネット上では山本がさきいかを万引きした板橋区内のスーパーというのがダイエー西台店ではないかという話が出ているが真相のほどは定かではない。

ハーグ事件、ダッカ日航機ハイジャック事件など、数ある日本赤軍メンバーが起こした事件のうち、逮捕された重信房子が2001年に獄中から日本赤軍の解散を宣言して以降、最後の事件と呼んでもよい「板橋さきいか万引き事件」。かつて暴力による世界同時革命を目論みていた極左集団の生存闘争の果ての哀れな末路である。


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