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高架下萌え (7) 浅草橋高架下探検<後編>

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前回に引き続き、浅草橋駅周辺の総武線高架下に並ぶレトロ建築群を観察する。
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今度は駅から西側、秋葉原寄りの場所を中心に回っていく。駅前にはそれなりに人通りも多く、地下鉄浅草線の駅もあることから乗り換え客も多い。浅草駅と間違えて浅草橋に来てしまった人も地下鉄浅草線で移動する事になる。



駅前のガード下には真珠や半貴石の専門店。宝石屋じゃないというところが実に下町らしい。店構えもどこか高級感に欠けていて浅草橋らしさを放っている。

大きく駅のホームがせり出した高架下には古い喫茶店や現金問屋の倉庫、半貴石、アクセサリーパーツの店などが立ち並んでいる。

地下鉄の乗り換え口とは逆の浅草橋駅西口はどことなく寂寥感が漂う。やはり秋葉原の隣とは思えない。

駅前に飲食店もあるにはあるが、あまり充実している印象はない。
何故か名古屋のおにぎり屋チェーン店「多司」がこんな微妙な駅前に初の東京進出をしている。なぜ浅草橋に…

正面の焼肉屋「アリラン」の脇には昼間っから堂々とホームレスがダンボールを路上に敷いてぐっすりおやすみタイム。さすが台東区は一味違う。

この周辺は問屋街という事もあり、毎日莫大な量の流通ルートがある裏で梱包材として使われている大量のダンボールが廃棄物として出る。これらはホームレスの貴重な収入源だ。
隣の秋葉原も元は巨大な青果市場を中心とした食品卸の街で、やはり現在もダンボール回収業者が名残りで残っている。とどの詰まり、秋葉原と浅草橋はダンボールタウンでありホームレスタウンなのである。

浅草橋駅西側の高架下建築を見渡すと、現金問屋の倉庫が主だっているような感じだ。皆一様に建物が古い。

浅草橋駅西口からしばらく秋葉原寄りに歩くと殆ど歩行者の姿も見かけなくなる。後はひたすら秋葉原駅まで高架下倉庫街が続く有様だ。

浅草橋駅周辺の総武線高架下は昭和初期に建造されたもので、それ以前は隅田川を跨いだ先の両国駅が総武本線の始発駅だった。
ちなみに総武線は国有化される前の総武鉄道時代、明治27年に市川(のちに錦糸町まで延伸)~佐倉までの区間が開業したのが始まりである。

高架下沿いに清洲橋通りまでやってくると、そこには一際年季の入った倉庫が並んでいる。古びきった重厚そうな扉が3つ。「小泉新之助商店」と書かれている。美倉橋とあるが、これは神田川に架かる橋の名前だ。

倉庫の鉄扉は一度所有者が代わった時にペンキが塗り直されたのだろうか、ペンキがはげ上がった下から文字が浮かび上がっている。元は洋紙店倉庫だったのね。

裏側にも「小泉紙店倉庫」とコンクリートで直書きされている。どうやら昔も今も紙屋の倉庫だったらしい。
総武線の両国~御茶ノ水延伸以来築80年、現役で総武線の高架下に広がる建築群は今も現役なのだ。


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