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新宿四丁目「旭町」に残るドヤ街と私娼街の痕跡 (1)

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言わずと知れた日本最大のターミナル「新宿駅」。常に人がごった返しているような場所だが、そんな街だからこそ見捨てられたような風景が残る場所もある。

新宿駅新南口、高島屋タイムズスクエアの巨大なビルがそびえ立つ一帯。新宿駅前でもごく最近になってから手入れがされるようになったエリアで、線路を挟んだ向かいの新宿サザンテラスにも目新しいオフィスビルが建ち並ぶ。蛇足だが、この二つの所在地は渋谷区代々木と千駄ヶ谷に跨っているのだ。



高島屋タイムズスクエアの裏手に出ると、そこは新宿区新宿四丁目。かつて「旭町」と呼ばれていた界隈である。近代的なビルのすぐ隣に、なぜか古い生コン工場が鍋底のコゲの塊のように土地にこびりついている。

日本最大の歓楽街・新宿駅前にまさか現役で生コン工場があったとは思えないのだが、本当にあるのだから凄い。その名は「新宿東横生コン」。

東横生コン敷地は新宿四丁目南交差点角の三角地に建っていて、非常に目立つ人通りの多い場所柄なのかも知らないが建物敷地の至る所が広告スペースになっていた。

生コン工場らしく土砂置き場もしっかりと用意されている。その上も広告スペース。
しかし聞く所によると2009年末を目処に東横生コン敷地は再開発に伴なう道路拡幅工事のため立ち退き、現在は取り壊されてしまったそうだ。

生コン工場が物語るようにここら一帯は所謂ガテン系の労働者が集まる「ドヤ街」だったというのはあまり知られた事ではない。新宿四丁目が旭町と呼ばれていた頃の話だ。取り壊された東横生コンの敷地から明治通りを挟んだ向かいの路地を進むと、今でも木賃宿街の面影を残す下町風味な風景が連なっている。

相模屋という安宿を皮切りに、次々と古いホテル群が姿を現す。
もっとも単純にドヤ街として隆盛を極めていたのは明治末期から戦前までの話だそうだ。
戦後になると男女が泊まる連れ込み宿(今で言う所のラブホテル)が増えだし、夜な夜な立ちんぼが現れる光景が見られた。そんな風景が1960~70年頃まで続いていたそうだ。

さらに江戸時代の内藤新宿の頃に遡ると、旅籠屋には旅人の男衆を相手する飯盛女と呼ばれる娼婦がおり、さながら場末の私娼街という有様だった。そんな歴史だからだろうか、今でもこの通り道を歩くとどことなく陰気である。すぐ近くの新宿駅の喧騒が嘘のようだ。

しかし現在では新宿駅至近の安宿街として、かつての名残りを留めるように安価なビジネスホテルが並んでいる。中にはウィークリーマンションに鞍替えしているような所もあるが、性質的には似たようなものである。

こうした安宿街は現在では受験や出張による長期滞在者を当て込んでいるわけだが場所も便利だし需要は高そうだ。一週間3万円なら1日あたり5千円を切る計算になる。

ちなみに「新宿四丁目」という区画が1~4番地までしかなく、甲州街道と明治通りに挟まれたごく一部の区域でしかないため、かなりマイナーな存在であるとも言える。
しかも安宿街は大きな道路と新宿御苑、都立新宿高校の敷地に挟まれるようにあるため、都会の死角ともいえる状況にある。ドヤ街ということもあって、ホームレスの居心地も良さそうだ。

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東京DEEP案内の管理人です。2008年の開設以来、首都圏一都三県の街歩き情報を淡々と記録し続けております。いわゆる日陰者的物件、観光地にもならない場所、ちょっとアレな地域を見物・考察する事を趣味としております。2017年6月15日、単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を発売。
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