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武士道と桜と乃木神社 (2) 旧乃木希典邸宅

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乃木神社で見所があるのが、旧乃木邸を保存する目的で作られた乃木公園の一角に、現在も邸宅がそのままの形で保存されて残っている事だ。
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朝9時から夕方4時までの間は敷地が開放されていて自由に見学することができる。普段は建物の外観しか見られないが、乃木夫妻の命日である毎年9月12日、13日には邸宅内部の一般公開も行われる。
裏門からお邪魔することにした。


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明治35(1902)年に乃木大将自らの設計で改築されたという乃木夫妻の邸宅。陸軍大将という立場にありながら、家は比較的質素な作りをしている。
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築100年を越す建物だが、室内はおおよそ当時のままの姿を留めている。当然玄関は閉じられているので外側からぐるっと建物を見て行く形になる。

建物外部に沿って回廊が設置されている。玄関から見ると1階だったはずが、横から見ると石積みの地下室が現れ、かなり大きな建物であることが分かる。
乃木大将がフランス留学時にスケッチしたフランス陸軍連隊本部の建物を手本にしたという邸宅は、純和風な正面玄関とは裏腹に和洋折衷ぶりを見せているかのようだ。
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少し離れた位置から旧乃木邸を見る。明治の軍人らしい、実にシブイデザインの邸宅である。満開の花を湛える桜の木も映えて美しい。
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普段は内部の様子を窓越しにしか見られないが、乃木夫妻が暮らしていた居室から部屋の様子が伝わる。戦前世代なら知らない者は居ないと言われる「水師営の会見」で使われたテーブル(緊急手術台)の二台のうちの一台(現物)が置かれている。
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さらに、乃木夫妻が自決をした部屋もそのまま残されている。明治天皇の崩御とともに自らの生命を絶った夫妻。最後まで軍人として武士道に生きた人生の結末は今どきの日本人の平和ボケには想像も付かない。
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旧乃木邸の片隅には夫妻が自刃した際に血が付着した衣服や遺品などを埋めた「乃木大将夫妻瘞血之處」と記された石碑がある。もう百年も前の出来事だが、こう書かれると非常に生々しい。
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他には乃木家の祖先や親類を祀る祖霊社も置かれている。実はあの吉田松陰も乃木希典の親戚に当たる人物で、乃木大将の人生に大きな影響を与えたそうだ。
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レンガ積みの塀の向こうには厩舎がある。
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馬4頭を飼育できるスペースがある立派な厩舎だ。乃木大将の愛馬の中には日露戦争時の旅順陥落時に当時の司令官だったステッセル将軍から贈られた馬も居たという。
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厩舎の内部。今でも馬を飼っていそうな趣きを残している。
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旧乃木邸玄関前にある「乃木大将と辻占売少年の像」。乃木大将の人となりを示すものとして作られた銅像の一つ。現在は六本木ヒルズの敷地内となった旧ニッカ池の畔にあったが、再開発を機に乃木公園に移ってきた。
乃木希典将軍と言えば戦前の日本における愛国教育の中で代表的な英雄として、学校教育に組み入られた事もあり戦前世代ではその名前を知らない人間は居ない。あまつさえ自決という衝撃的な死で乃木は神格化されるに至る充分な素地を持っていたのだ。
戦後になると一転して教科書に墨が塗られその存在を抹消されるかのごとく扱われたが、司馬遼太郎の長編小説「坂の上の雲」で愚将として描かれ再びその名が知られるようになる。
良くも悪くも近代日本人の精神論に多大な影響を与えた歴史的人物の一人である。現在の世にも、街並みも精神もすっかり変わり果てた東京の片隅で眠り続けている。

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東京DEEP案内の管理人です。2008年の開設以来、首都圏一都三県の街歩き情報を淡々と記録し続けております。いわゆる日陰者的物件、観光地にもならない場所、ちょっとアレな地域を見物・考察する事を趣味としております。2017年6月15日、単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を発売。
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