チーバくんのアレ「富津岬・明治百年記念展望塔」

2010年千葉国体のマスコットキャラクター「チーバくん」が素晴らしく秀逸で、思わずキャラクターグッズまで衝動買いしてしまった単細胞な我々取材班。千葉県の県土を示した犬の形をしているというのがあまりに素敵。しかしこのチーバくんには一つ矛盾点が隠されている。
それが「富津岬消滅問題」という話である。
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チーバくんの身体の形を見れば分かるが、耳の先が銚子、鼻の先が野田、舌先が浦安で、足底が南房総の野島崎あたりになっている訳である。しかし彼の身体に富津岬にあたる部分は描かれていない。
これが非常にナーバスな問題を抱えているらしく、富津岬を忠実にチーバくんの身体に再現すると放送倫理的にヤバイので、仕方無く富津岬を海底に沈めてしまったらしい。



そんなチーバくんの股間…いや沽券に関わる問題として悲惨な運命を辿った富津岬の先っちょは一体どうなっているのか、ちょっとこの目で見てみたくなったので、行ってきた。
チーバくんのチンコならぬ富津岬の正体は富津市の市街地から東京湾へ5キロ以上も半島状に大きく突き出した細長い砂洲である。
この砂洲の先端部分が富津公園となっていて、最寄りのJR青堀駅もしくは木更津駅からバスで来る事も出来るが、基本的には車でのアクセスが望ましい。
新日本製鐵の工場地帯の脇をひた走り、そのうち富津漁港が姿を表したかと思うと、防風林に囲まれた道が延々と続く先に富津岬がある。

極端に先細りして海に突き出した砂洲の先っちょという特異な地形にあるためか、海風が物凄い上に、外海から打ち寄せる波が半端なく強烈である。
時折波しぶきが車を止めている場所まで飛んでくる事もあるし、海水がどんどん堤防を超えて流れてきている。天気の影響もあったが、何とも最果て感凄まじい場所である。

「陥没の恐れあり」と書かれた看板とともに、外海側の岸壁は封鎖されてしまっている。堤防がある為に辛うじて水没を免れているが、実際問題としてはチーバくんのチンコのようにリアルで消滅してしまう事にもなりかねない状況にある。

富津公園の最先端部までやってくると、三方を海に囲まれた場所にぽつんと立ちはだかるピラミッド状の奇妙な建物がある。「明治百年記念展望塔」と呼ばれるもので、その名前が示すように明治百年を記念して建造された展望台。
その奇抜な建物を見ても何となく分かるものだが、明治百年とは昭和43(1968)年、大阪万博に非常に近い時期で、あの時代のセンスが匂う珍建築っぷりを感じてしまう。

富津岬のシンボル・五葉松をあしらったデザインと言われているが、どう見ても謎の空中要塞にしか見えない記念展望塔を登り始める。容赦なく海風が吹き荒ぶ中、手すりを頼りに階段を登って行く。建造後40年以上が建っている事もあってか、なかなかスリリングである。

中程まで登ると、目の前には大海原と荒れ狂う波が姿を現す。奇しくも春先の爆弾低気圧襲来の直前に訪問した事もあって酷い有様だが、普段はもう少し穏やかなはず。

頂上まで登り詰めると、展望塔の上から見える陸地はこれだけ。富津岬がいかなる特異な地形かがよく分かる。

明治百年記念展望塔は国土交通省関東地方整備局の「関東の富士見百景」の一つに認定された場所で、こんなご立派なプレートが飾られているのだが…

天気が悪すぎて富士山どころか浦賀水道を跨いだ先の神奈川県側の土地すら拝む事もできないのである。浦賀水道を横須賀方面に辿れば、東京湾に浮かぶ人工島で廃墟の要塞・第一海堡に第二海堡、そして海に沈んでしまった第三海堡と、その先に猿島があり、横須賀市街が広がっている。

しかしまあこれだけ東京に近い位置にあって、自然の力って凄いという事をつくづく実感させられる場所だ。

第一海堡だけは悪天候時でも辛うじてその姿を拝む事が出来る。明治時代に作られた海上要塞は一度も実戦に使われる事もなくその生涯を終えて東京湾にぽつりと残されているのだ。第二海堡とともに釣り客や戦争遺構・廃墟マニアの上陸があったそうだが、近年、危険の為に上陸禁止となっていて非常に残念である。

波が比較的穏やかな東京湾の内海側に出ると、漁業権云々と書かれた注意書きの看板の先に砂浜が続く。付近はシーズン中には潮干狩りや釣り、マリンスポーツのレジャー拠点になる。

実は富津岬の先から第一海堡までは干潮時は歩いて渡れる程度の砂洲が残っていたのだそうだが、この激しい海流に負けて砂洲が消えてしまい、現在では歩いて渡れなくなってしまっている。そのため徒歩で渡ると危険ですとの立て看板がある。

千葉県富津市
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