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花街の痕跡・西新宿「角筈十二社」 (1) 熊野神社

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新宿中央公園を挟んで東京都庁を目の前にひかえる西新宿四丁目界隈。この付近は昔「角筈村十二社」と呼ばれ、江戸時代は農村であった傍ら景勝地として知られ、明治時代になると花街としても栄えたと言われる土地だ。
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いま西新宿と呼ばれている街で働いているサラリーマンに「角筈」だの「十二社」だの言っても何処の事を言っているのかさっぱり分からない話だ。


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十二社(じゅうにそう)という地名の元となった熊野神社の前まで来ると、そこは新宿駅からもかなり離れていて、都営大江戸線の西新宿五丁目駅が最寄りとなる。こんな場所でもオフィス街化しているので平日昼間はサラリーマンだらけだ。
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地名が西新宿四丁目に代わってしまった十二社の土地を示す数少ない痕跡が、既に潰れて無くなった新宿十二社天然温泉だったり京王バスのバス停「十二社池の下」という名前に残されている。十二社池(弁天池)の周囲に花街が開けていていたとされるが、今ではその池の姿もない。
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十二社の土地の痕跡を伺うべく熊野神社を訪れる。拝殿は改装工事中だったせいか足場が組まれていて建物の形を見る事ができなかった。オフィスワーカーだらけの新宿にありながら参拝者がたまに現れる程度で非常に静かな神社である。
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熊野神社境内に十二社の土地の歴史に付いて詳しく記された掲示板がある。神社の名前の通り、紀州熊野の熊野三山に由来する神社で、十二社の地名も十二所権現から来ている。
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神社境内に小さな池が作られているが、これは往時の十二社池とは関係がない。十二社池は神社から十二社通りの車道にぶった切られた向かいの南側に戦後まで残っていたそうだが、西新宿副都心開発の折に埋め立てられて消滅した。
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池の傍らには「こひ塚」がある。昭和初期から池の埋め立てが進んでいたそうで、その時の水質汚濁で大量に死んだ鯉を祀るものだと境内の掲示板に記されている。
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神社境内から新宿中央公園に通じているが、公園側から見ると神社名碑が隠れて沈み込んでしまっている。
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新宿中央公園に入るとそこは神も仏もないと言わんばかりにホームレスのねぐらが森の中に密集する現代の貧民窟が広がっている。
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熊野神社を後にして、かつての十二社池の周りに残っていたという花街の痕跡を探し求める為に十二社通りを跨いで西側一帯を散策する事にした。通りに沿って歩くと完全にオフィスビルかマンションしかない味気ない風景が続いているが、一歩中の路地に入ると途端に別世界が現れる。
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十二社には花街の名残りで今に続く旅館や連れ込み宿が傾斜地に沿って何軒か残っている。それらは全て路地裏に押し込められているが、いきなり目の前に開けるのは竹藪に混じって、その竹藪を模したかのように立てかけられる鉄パイプの足場が組み掛けられた異様なフェンスで囲まれた一軒の民家だ。
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何かを守る結界のように徹底的に鉄パイプで覆い隠された家の怪。まず本筋の十二社の街を見て回る前に目に飛び込んだ異様な光景にあんぐり。花街の名残りにしてはちょっと電波過ぎる。この土地には一体どんな街の風景と歴史が眠っているのだろう。

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東京DEEP案内の管理人です。2008年の開設以来、首都圏一都三県の街歩き情報を淡々と記録し続けております。いわゆる日陰者的物件、観光地にもならない場所、ちょっとアレな地域を見物・考察する事を趣味としております。2017年6月15日、単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を発売。
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