流鉄流山線で行く下総流山の旅 (2) 新選組マニアの聖地

千葉県というだけでもマイナー扱いされてしまうのに、その中でも流山市という地名を聞いてどこにあるのかさっぱり分からなかった訳だが、これまたマイナーなローカル鉄道「流鉄流山線」に乗る機会を得て、流山という街を知るに至った東京DEEP案内取材班一同。
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「流山」という不思議な語感を持った地名。音読みすれば「りゅうざん」になって縁起が悪いので流山には産婦人科が一軒もないという都市伝説もあるそうだが、それはさすがにデマである。
ともかく流山と言ったら新選組なんだそうだ。商店街には「こども110番のおみせ」の暖簾が掲げられ、新選組のイラストに「まもるぞ!!」と書かれている。その割には守るべき子供の姿がどこにもいない。過疎化が進んでいるのだろうか。


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流山街道と広小路の間の道沿いに、新選組陣屋跡がある。新選組の局長・近藤勇が227名の隊士を率いて陣屋を置いた場所として歴史マニアの間では所謂「聖地」となっている。
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本当に普通の住宅地の中に、いきなり流山市観光協会が運営している土産物屋がひょっこり店を出している。新選組グッズがずらりと売られているのだ。頼みもしないのに親切にパンフレットまでもらったのだが、一応ここが流山市唯一の観光資源らしい。
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そして突然現れた顔ハメ看板。記念写真を撮って帰るような観光客の姿もなく何の変哲もない住宅地の中にぽつんとこんな看板が置かれているのでシュールである。
「近藤勇・土方歳三離別の地」
新選組隊長近藤勇は大久保大和と名を改め流山に駐留後、新政府軍に取り囲まれ、無用の争いを避ける為に無抵抗で越谷の政府軍本営に出頭することとなる。しかし既に新政府軍には大久保大和が近藤勇があると把握されており、板橋刑場で斬首されるに至る(→詳細
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本陣跡は個人宅の蔵の前に石碑と掲示板が置かれているだけである。本当にこれだけ。
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しかも新選組が流山に居たのは慶応4(1868)年4月2日から、会津に移動を始める6日までのわずか5日間だけだという。特に新選組局長の近藤勇は翌3日に出頭しているので、実質2日間だけ(→詳細
だが新選組の軌跡を追う上で流山の土地が大きな意味を持つ事だけは歴史に疎い我々東京DEEP案内取材班にもなんとなく分かる。
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しかしこれだけで帰ってしまうにもネタ的に弱すぎるしどうしよう…と思ってしまう訳だが、陣屋跡の傍らには何やら気になる木箱が置かれている。
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その木箱を開けてみると、中からこんなノートが何冊か出てきた。
かなり気合を入れてイケメンに描かれた近藤勇のイラストが表紙の、新選組ファンによる記念カキコ用ノートのようだ。
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ページを開いてみると、次々と容赦なく現れる腐女子の脳内世界。新選組マニアによる渾身のイラスト群、それによくわからない詩。なんだか凄い事になっている。
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新選組がNHKの大河ドラマとして放送された時のポスターまでベタベタっと貼りつけられております。近藤勇役に香取慎吾…いかにもな配役である。
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ドラマのワンシーンをスクラップブックにして台詞をつけた同人新選組読み物と言えるページまで…右下の写真はファンご本人のプリクラだろうか。いやはや凄い。このエネルギーはどこから湧いてくるのだろうか。
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ちなみに新選組腐女子の萌え要素が高いネタとして同人誌がかなり出回っているそうだ。知られざる世界をまた一つ、千葉の辺境・下総流山で垣間見た気がした。

千葉県流山市
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