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板橋区志村坂上駅前・志村銀座商店街の昭和遺産「第一ストア」と路地裏飲食街

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目黒から白金高輪を経由し都心を南北に通り、水道橋、巣鴨、高島平方面とを結ぶ都営三田線全線の中でも行く用事も無ければさっぱり足も運んだことがない巣鴨から先の板橋区内のエリアをしらみつぶしに回ってきたわけですが今回はこちら「志村坂上」駅で下車。

同じ地下鉄の駅でも「中野坂上」は知ってますが「志村坂上」は正直あんまり知りませんでしたね。その駅名の通り、駅の真上を走る国道17号(中山道)の「志村坂」の上にあり、ここから先の環八通りまで延々と長い下り坂を降りていく。都営三田線もここまでは地下駅だが、坂を降りると次の志村三丁目駅は地上駅に変わる。同じ板橋区の中でも武蔵野台地の上の高台と荒川・新河岸川沿いの低地とに隔てられる境界にある駅ということになる。

中山道の起点である日本橋から三里(約11.8km)という位置にあり江戸時代には徳川幕府の命令で当地に「志村一里塚」が築かれ、これが今の時代も完全な形で残っていて、板橋区志村地域のシンボル的存在になっている。

現代日本の首都である東京から埼玉の微妙な住宅地の間を結ぶ国道17号の両側に今もその姿を留め、道行く人々を見守る志村一里塚…その足元は喫煙所となっておりタバコを吸ってる下町親父のもとから容赦なく副流煙が漂ってきてただでさえ花粉症で過敏になっている鼻腔を襲う。これが現代日本の板橋区クオリティなのである。

板橋区志村地域とザ・ドリフターズの志村けんは全く関係がないというのは百も承知だが、志村けんにクリソツすぎる自民党参議院議員中川雅治氏の看板が立っているのを見ると、やはりどこからどう見ても志村けんが政治家に転向したようにしか見えないのですがどうすれば宜しいのでしょうか?

志村坂上駅前の土着型商店街「志村銀座商店街」

そんな偽志村けんがフォトショマジックのスマイルを見せる街、板橋区の志村坂上駅前にある商店街がこちら「志村銀座商店街」。「しむらん通り」とも呼ばれているそうですが、あんまり定着してないように思える愛称である。低地が庶民の街、高台が金持ちの街というのがありがちな東京の街並みであるが、東京の外れの板橋区では低地も高台もどちらも庶民の街である。

したがって志村銀座商店街も庶民の溜まり場であるパチンコ屋が二軒も向き合い平日昼間っからジャンジャンバリバリ稼働しまくっており日がな一日パチンコを打つしか娯楽のない地元の年金ナマポ老人がお金を注ぎ込んでいる下町の日常風景が見られる。忘れるなかれ、板橋区の生活保護受給率は23区中台東区、足立区に次ぐワースト3位だ。

志村坂上随一のパチンコ屋「コンサートホール志村」の客も出入りしている、何やらそそられる路地裏風景。地面の石を退かせたら石の下にびっしり虫が隠れているかのように佇むジメジメとした路地裏の飲食店街が現れる。パチンコ屋とその奥の銭湯とこの飲食店街でここ志村地域の土着下町親父のパラダイスが完結しているように思われる。

しまいには「焼肉白頭山」という北朝鮮ド直球なネーミングのオールドコリアンバーベキュー店舗まで存在する奥の深さよ。店主のオモニの他に猫が店番をやっているということと、焼肉に加えてラーメンが名物らしい、ということ以外ネットの情報はありません。

他にも場末感半端ないスナックやら、「路地」という名のそのまんまネーミングな焼き鳥屋まであるという志村坂上住みの土着親父達の小さな解放区である。

そんな小汚いパチンコ屋と路地裏飲食街にそのまま連絡通路で通ずるマンションと一体化した「健遊館 志村大黒湯」。銭湯かと思ったら違っていて、元銭湯を改装したデイサービスセンターらしい。このマンションの表側にもカレー屋とかスナックや食い物屋がちらほらある。

「第一ストア」という志村坂上の超絶昭和遺産

志村銀座商店街の途中から現れる、古びたマンションの一階部分が商店になっていて奥に通路が伸びる一画。右手にはオバ服屋、通路の角にはオールカウンター席の立ち食いそば屋が営業しているどうにも下町臭さ満点の佇まい。とりわけ、立ち食いそば屋は昼間なのに結構なお客が中で蕎麦を啜っているのが外側からも見える。

立ち食いそば屋「おくちゃん」について、こんなマイナーでローカルな街にまで訪問しているテレ東のアド街公式サイトによると「元々は時計店でしたが、昭和50(1975)年に業種変えしました」との説明が。異色の経歴を持つ立ち食いそば屋である。親子二代で店を継ぎ地元で愛される志村坂上の老舗立ち食いそば屋の一番人気は紅生姜天の乗った蕎麦。一杯380円という安心の板橋価格。

「おくちゃん」の立ち食いそばのダシの臭いがプンコラ充満するマンション一階部分の通路に足を踏み入れる。薄暗く陰鬱な佇まいをしており、まるで北海道か九州あたりの鄙びた炭鉱町の公設市場のような雰囲気すら漂わせる。立ち食いそば屋の隣の菓子屋の店構えがまた昭和丸出しである。

既に営業している店もまばらとなっている市場の残骸のような空間だが、奥へ進むとさっきの立ち食いそば屋「おくちゃん」で出している蕎麦やうどんの麺を作っている「志村製麺所」の工場が現れる。

製麺所の隣にはもはや惰性でしか営業していなさそうに見える古びた瀬戸物屋。数ある売り物である食器の数々、一部は床の上に直置きされている始末。

瀬戸物屋の先でまた別の建物に同じ通路が伸びている。三軒棟続きになったマンションの一階部分が同じ市場として機能している。都内でこんな構造の古い市場にお目にかかれる機会は結構珍しいかも知れん。何となくだが、札幌のど真ん中にそびえるススキノアパートの一階にある市場に雰囲気が似ている。

隣の建物に移ると、こちらは青果店と街の電器屋さんがそれぞれ店を開けている。ここまで来てこの市場の名称が「第一ストア」であることをようやく知った。戦後のバラックだった昭和22(1947)年からあるという古い市場だが、このマンションの建物はもう少し後の年代に出来たものだろう。

第一ストアの通路を端から端まで抜けて外に出ると、こんな感じの建物の中にいたことが分かる。三階建ての「第一マンション」という賃貸マンションで、二階と三階は住居フロアになっている他、一部分だけ、二階建ての別棟が同じベンガラ色の塗料が壁一面に塗られてマンションと「同化」している一画がありますね…

ちょうど第一ストアの出口となっているところに、また年季の入りまくった佇まいの焼き鳥屋が一軒あるのだ。「焼き鳥とき川」である。店構え同様にベテランぶりを見せるご主人が黙々と一本70円の焼鳥を串打ちしては焼いている。主人曰く「もう40年以上は(焼鳥)やってるね」とのこと。

一本70円の板橋価格の焼鳥も確実に美味そうだが、個人的に気になったのは焼鳥の串の横に置かれた謎めいた泥色の物体…ではなく「もつのにこみ」。実にソウルフード感半端ない裏名物的メニューなわけですがこれが当方の晩御飯のおかずになりました。柔らかくて旨い。

商店街を抜けたら三色旗物件が続々

そんな志村坂上の街の昭和遺産「第一ストア」を横目に歩いていると聖教新聞が「ご自由にお取り下さい」と大盤振る舞いの無料配布サービスを行っている熱心な学会員のお宅があったりするのがやはり板橋区らしい。

案の定志村銀座商店街を抜けたあたりの住宅街には創価学会板橋文化会館の立派な建物もあり周囲は三色旗マークの店舗も見られる、「安定は希望です」的下町風景が現れるのだ。「坂の上でも下町は下町」それが板橋区志村坂上という街でした。


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東京DEEP案内の管理人です。2008年の開設以来、首都圏一都三県の街歩き情報を淡々と記録し続けております。いわゆる日陰者的物件、観光地にもならない場所、ちょっとアレな地域を見物・考察する事を趣味としております。2017年6月15日、単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を発売。
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