年末恒例の未解決事件「世田谷一家殺人事件」の舞台・祖師谷公園を見に行った 

世田谷区

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20世紀最後の日、2000年12月31日未明に発生した「世田谷一家殺人事件」は今も重要な手がかりすら掴めぬまま迷宮入りしてしまっている。

事件の舞台となった世田谷区上祖師谷三丁目の被害者宅は、用地買収が進む「祖師谷公園」の中にぽつんと残っている。

そろそろ日が西の空に落ちていきそうな頃、ようやく辿り着いた祖師谷公園の中に入る。

被害者宅は用地買収で立ち退き予定が迫っていた公園内の一角に今もひっそりと建っている訳であるが、目の前の公園では恐らく近所の親子連れだろうか、何組かの家族が平和な休日を過ごしていた。同じような家族が、一晩のうちに無残にも殺害された場所で。

公園の端に行くと被害者宅の裏手が見える。そのまま残っているというのが非常に生々しい。未解決事件のままなので、取り壊すにも取り壊せないのだ。本来なら2001年3月に被害者宅も立ち退きを終えて、この家も無くなって公園になっていたはず。

2階建ての一軒家。何事もなければ順風満帆な家庭の終の棲家となっていたはずの家。外壁や屋根の汚れが10年以上の年月を無言のうちに物語っている。被害者一家はこの場所にバブル期の1990年に引っ越してきた。

続いて公園内を南北に抜ける車道に沿って被害者宅の正面に回る事にする。家の前に至る脇道の入口には横一列にカラーコーンが並べられている。立入禁止とは書かれていなくとも、どう考えてもこの先に立ち入ってはならないという意味に見える。

その先には警察官が常駐する小屋が被害者宅の玄関先に置かれていた。今でも24時間体制で警察によって現場は見守られている。基本的に何も起きる事がなさそうなので、常駐している警察官もさぞかし暇でしょうがなさそうな様子である。事件直後は隣や向かいにも家があったらしいが、今は取り壊されている。

被害者一家が引っ越してきた1990年当時はまだちゃんとした住宅街だったそうだが、公園拡張事業の話が舞い込んで住民が次々家を手放していくと、公園の中に家が取り残されたような奇妙な状態となる。それが言わば街の死角を生み出したとも言えるだろう。

バブル崩壊による土地価格の下落や公園拡張事業による立ち退きで事件後もどんどん家が取り壊され、被害者宅と数軒の家を残して今なおほぼ更地のまま放置されている。何とも寒々しい風景だ。

事件があったせいか、20年越しで続けられている公園拡張事業自体も足止めを食らっていて、整備も中途半端なまま止まっているので、結局何のために拡張事業を進めたのか本末転倒の状態になってしまっている。

被害者宅の他にあと一軒、こんな歯抜け状態になりながらも元の家で住み続けている世帯もいるのである意味感心してしまう。警察が常駐しているとはいえ、昼間でも薄気味の悪い場所だ。夜道の一人歩きは大の男でも怖いぞ。

警察の常駐に加えて、路上には監視カメラ付きの緊急通報装置も設置されて、辛うじて地域の安全は保たれているという印象である。向かいのスケボー広場も夜はヤンキーの溜まり場になって、被害者宅も幾度もトラブルになったそうだ。

ヤンキーというのは馬鹿でDQNな様に見えて実に街の死角を見つけ出す技能に長けている。ここぞとばかりにブロック塀にスプレーで自己主張を繰り広げる地元ヤンキーのマーキング。

被害者の主人が度々公園にたむろする少年や駐車マナーの悪い人間に注意を繰り返していたとの事で、恨みを買った人間による快楽殺人説というのも未だネット上で散見されるのだが、結局後から後から様々な説が乱立して話がややこしくなっている。

ともかくマイホームを買うのって色んなリスクがつきまとうもんだなあという印象。被害者宅は隣の親類宅を含めてバブル絶頂期に1億5千万以上掛けてこの家を買い取りこの地に引っ越してきたらしい。夢への投資が一転、こんな事件に巻き込まれるとは、人生は本当に分からないものである。


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