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【軍都立川】米軍立川基地・キャンプフィンカムの残骸…米軍住宅「立川アメリカンビレッジ」を見に行った

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東京都立川市と言えば昔は基地の街として知られていて、現在国営昭和記念公園などがある一画は米軍基地「キャンプ・フィンカム」があった事で立川の街はシネマ通りや錦町楽天地や羽衣新天地といった赤線地帯を数多く抱え、大層いかがわしい街だったそうだ。

今でも駅南口のウインズのある辺りにいかがわしさを残しつつも表向きには町田や八王子と並んで東京多摩エリアの衛星都市としての顔が大きい。

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だが現在も国営昭和記念公園の周辺には米軍基地の名残りを留める物件がいくつか残っている。キャンプ・フィンカムの残骸を求めに我々は西武拝島線の玉川上水駅からとことこ歩きながら国営昭和記念公園の砂川口までやってきたのだ。

厳密には武蔵砂川駅が最寄りなのだが、玉川上水止まりの電車にたまたま乗ってしまったので散歩がてらに一駅分余計に歩いた事になる。


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現在この場所は「大山団地」となっており大規模に整備された都営団地が群がっている。
米軍基地が日本に返還された1977年以降に大部分は市役所や公共施設、そして国営昭和記念公園などに変わっているが、一部が廃墟のまま残されていて、また一部はこうして団地に変わった訳だが、土地返還のドサクサで不法占拠された土地(大山小学校付近)があるという話がネット上に存在している。

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この大山団地の南側一帯も住宅地となっているのだが、国営昭和記念公園に接する南側の一画だけが米軍基地があった頃の住宅が殆どそのままの形で残っているという。

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外れた場所にぽつんと一軒だけ平屋建ての古い家屋が残っていた。白く塗られた壁が眩しいこの建物は所謂「米軍ハウス」の一つ。そしてこの一帯が「立川アメリカ村」ないし「アメリカンビレッジ」などと呼ばれているらしい。

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住宅街から道路を挟んだ東側にひたすら空き地が広がっている訳だが、昔はこのへんも米軍住宅が並んでいたようだ。不要になって取り壊されたりしたようだが、空き地の活用は何ら施されておらず、まばらに残る立ち木が成長するに任されていた。

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それ以上に目についてしょうがないのが高層マンション建設に反対する住民による立て看板の数々だ。どうやら向かいの空き地はマンション建設が予定されていたようだが、日照権云々の問題がどうとかで反対運動が起こっているようだ。

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微妙に間違った日本語といいビックリマークの使い方といい、なんだかなあ、と思わせる立て看板の数々。砂川町周辺の住環(境)を守る会。

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こんなヒステリックな看板がズラリと並んでいる前では建設業者も手が出せないらしく、マンション建設予定地となっている空き地は何も手がつけられていなかった。

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戦後からこの土地は日米安保条約と日本国憲法との矛盾を世に問うた「砂川事件」の舞台でもありプロ市民的な匂いがそこはかとなく香ばしいエリアなのだ。

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建設予定地の前にはぽつんと「建築計画のお知らせ」が掲示されているのみ。
もとは米軍基地の真ん前にあった場所で、この辺の住宅街もおおよそ基地返還後に造成されている。昔の航空写真を引っ張り出して見てみると1961年の白黒写真では米軍ハウス以外の家が全然建っていないのが分かる。つまり後から引越してきた住民ばかりのはずだが…

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なぜかマンション建設予定者である会社の名前で「お詫び」の看板が掲示されているという奇妙な光景。
「立川市道北41号線をフェンスで閉鎖し、通行を妨げた事に対し、お詫び申し上げます。」

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さらにもう一つの看板には「立川市の道路です。ご自由にご通行下さい。」とある。
こんな看板まで張り出させるとはよほど住民とのいざこざがあったに違いない。砂川事件を乗り越えてきた地主の意地なのか、それとも筋金入りのプロ市民が居座っているのか、事情はよく分からんが。

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しかしまあ「ご自由にご通行下さい」と言われてもそこは廃墟となり取り壊された米軍ハウスの跡でしかない訳だ。この先に行っても国営昭和記念公園に入場出来る訳もなく行き止まりになっているだけ。地元民が子連れで散歩しているくらいか。

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所々、現在の土地所有者と見られる「アメリカンビレッジ管理事務所」の名前で注意書きが貼り出されている。

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東側はすっかり取り壊されて跡形もないが、実は南側一帯は現在も米軍ハウスが現役で残っておりそのまま人の住む民家として使われ続けている。さらにアメリカ村管理事務所の名前で「この先行き止まり」の看板。

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米軍ハウスが転用された民家の一つ。立川基地が日本に返還された後も米兵などが住んでいたらしいが、後に横田基地内に新しく住宅が建設されると殆どがそっちに引越してしまい、残った空き家にはアメリカかぶれのアーティストや芸術家が好んで引越して創作活動の拠点にしていたとかなんとか。

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住宅地の入口に立つと、その先には素のアメリカが広がっていた。まだまだアメリカンビレッジは健在のようだ。しかし建物の老朽化などもあって入居者募集などはやっていないらしく、どこかしら雰囲気も寂れている。

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アメリカンビレッジ内部には現在も100軒近い平屋建ての「米軍ハウス」が残っていて、敷地内の手入れや芝生の刈り込みまで丁寧に行われ管理されている。福生の米軍ハウスもかなり取り壊されていて往時の姿がわかりづらくなっているのに対し、立川の米軍ハウスの忠実な残され方には驚く。
ただこの場所、私有地という事になっているらしく部外者が入り込むと「関係者以外立入禁止です、出てって下さい」などと管理人のオッサンに見つかり次第追い出されてしまう。非情である。
ともかくゆっくり見て回る事は出来なさそうだ。ストリートビューの車は何気に走り回っているのにね。っていうか、まず徒歩で来るような場所じゃないわな。
参考記事
米軍ハウスがズラリ。立川のアメリカ村


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東京DEEP案内の管理人です。2008年の開設以来、首都圏一都三県の街歩き情報を淡々と記録し続けております。いわゆる日陰者的物件、観光地にもならない場所、ちょっとアレな地域を見物・考察する事を趣味としております。2017年6月15日、単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を発売。
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