米軍立川基地の残滓・赤線跡「シネマ通り」

立川と言えば、駅北口に広大な米軍基地の跡が残っている。戦後に立川飛行場の敷地が米軍に接収され「キャンプフィンカム」として利用されていた時期に、米兵の慰安施設も兼ねて、立川駅周辺には赤線地帯があったという。
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その名残りが、立川駅北口と立川競輪場の間あたりを東西に走る細い路地に沿った古い商店街「シネマ通り」にある。この場所は大正時代に旧陸軍立川飛行場が設置されてから慰安施設として映画館「キネマ立川」が建てられ、軍人や軍需工場で働く工員の姿で賑わう繁華街だった。


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現在のシネマ通りは寂れた古い商店街といった印象が強く、かつての賑わいを想像するのは難しい。まっすぐ北西方向に進むと、元・米軍基地キャンプフィンカム、現在は国営昭和記念公園や再開発で一変した複合商業施設「ファーレ立川」に続く。
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シネマ通りとあけぼの一番街が交わる角地に、赤線跡を思わせる独特の建築様式を見せる飲食店の建物が何軒か残っていた。
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シネマ通り界隈は戦後進駐してきた米兵の慰安所として開設された赤線地帯が、昭和33(1958)年の法律施行時まで続いていた。やっぱり軍隊(=男)の集まるような場所にはそれなりに裏の歴史があるというもの。
昭和52(1977)年、米軍立川基地・キャンプフィンカムが返還されるまでの間はシネマ通りの名の通り何軒も映画館が並んでいて繁華街としてそれなりに賑わっていたらしい。
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シネマ通り周辺を歩くといまだに戦後の混乱期に建てられたようなバラック建ての店舗が残っている。これらの店もかつてはキャンプフィンカムの米兵を相手にしていたのだろうか。今では異国情緒すら漂っていない。
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見るからに元バーだった店舗。店の看板もなく、現在は個人の家屋になってしまっている模様。
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隣の土地が歯抜けの空き地になっているのをいいことに建物を横手から見ると、まるで廃屋同然の姿を見せている。2階の窓が開かれたまま、住人が本当に暮らしているのかどうか疑わしい。
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シネマ通りから外れて東橋交差点方向に南下する脇道に入ると、やはりそこにも赤線地帯を思い起こさせる古いスナックの建物がいくつか残っている。殆どは普通の住宅と化しているが、独特の色遣いを見せるスナックの玄関口の壁が生々しい。
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同じように1階が店舗、2階が住居の古い建物がずらりと並んでいる訳であるが、商売っ気がさっぱり無くなってしまっているのが共通点。
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建物の装飾や窓の形状などに往時の面影を感じ取る事が出来る。鳩の街や洲崎に残っているような華美な印象を持つ建物は見当たらないが、それでも色街の風情がある。
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傍から見ると営業しているようには見えない場末のパブの壁には飲み放題3000円と書かれた大きな看板が残っている。パブの前は焼鳥屋だったという事が、2階の看板の跡で分かってしまった。
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現在の立川シネマ通りは場末の飲食街が密集する、昭和のまま時代の流れに取り残された大人の街といったところだろうか。華やかさは失われたが、軍都立川の戦後史の一端を垣間見られる貴重な場所であることは間違いない。
参考記事
変貌する街立川 第3部・銀幕復活 (上)「シネマ通り」の名残る

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