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米軍立川基地の残滓・赤線跡「錦町楽天地&羽衣新天地」

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軍都だった立川の街にはシネマ通り以外にも錦町楽天地と羽衣新天地、2ヶ所の赤線地帯の残骸が残っている。今度はそちらに向かうことにする。
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まずは「錦町楽天地」へ。立川駅南口からウインズの前を通って徒歩10分程度の住宅街の中にある。戦前から三業地が置かれて花街だった場所だが、戦時中の昭和19(1944)年に軍需施設・工員寮建設のため立ち退きに遭った洲崎遊郭の業者が参入して、戦後も赤線として賑わう事となった。


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しかし既に名残りもクソもないような場所なのでうっかり通り過ぎてしまいそうなくらいだ。赤線廃止から半世紀以上経つ訳で無理もない話だが…本当に何の変哲もないただの住宅街。
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そんな住宅街の一角に突如として居酒屋がズラッと立ち並ぶ光景が現れる。これが錦町楽天地の残骸とも言える場所。
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錦町楽天地も戦後はシネマ通り同様、沢山の米兵の姿で賑わったと言われている。錦町には48軒のカフェーに167名のウエイトレスもとい所謂「パンスケ」がいたとされる。
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古い居酒屋が並ぶが、こう見えても一応営業は続いているようで、生ビールのポスターがまだ目新しい。
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この建物だけに限らず周囲にも数軒の飲食店が集まっている。これらの店が無ければ赤線跡の面影など完全に無いも同然だろう。
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辛うじて、電信柱に記された「楽天地支」の文字が、ここが錦町楽天地であった事を示しているに過ぎない。
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他に見る場所もないので、もう一つの「羽衣新天地」の方を見に行く事にした。ここから立川相互病院前の南武線踏切を渡った向こうに存在している。
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立川駅より隣の西国立駅の方が近い場所に羽衣新天地の残骸がある。ここも例外なく完全な住宅街でしかないわけだが、縦4本横3本、格子状の6つの区画が赤線地帯の名残りを匂わせている。その中央には無駄に幅の広い道路が走っていて、いかにも元遊郭でしたと言わんばかりだ。
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しかし羽衣新天地跡もことごとく住宅ばかりとなってしまっていて、アパートやマンションが目立つのみ。
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しまいには左翼団体の街宣車まで止めてある始末。これは民医連の立川相互病院が近くにあるからだろうか。
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羽衣新天地もまた、戦後の「赤線」指定地として錦町楽天地と同じくカフェー街が形成された場所だった。ここも同様、戦時中に洲崎の業者が入り込んできている。規模は錦町の半分くらいだったそうだ。
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戦後は米兵の慰安所となった2ヶ所の赤線地帯だが、錦町は白人、羽衣町は黒人を相手にする所だという「区別」までされていたそうだ。ちなみに上級兵士向けのキャバレーとしてこれら2ヶ所の赤線とは別に「立川パラダイス」というのもあったそうだ。
殆ど面影は残っていないが、もしかすると赤線時代から残っていたのではないかと思われる平屋建ての住居が一軒だけ存在している。

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東京DEEP案内の管理人です。2008年の開設以来、首都圏一都三県の街歩き情報を淡々と記録し続けております。いわゆる日陰者的物件、観光地にもならない場所、ちょっとアレな地域を見物・考察する事を趣味としております。2017年6月15日、単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を発売。
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