「 赤線地帯 」一覧

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横浜赤線地帯 永楽町・真金町「永真遊郭」跡 (2)

横浜市南区真金町、そこは横浜における赤線地帯「永真遊郭」を抱え、また落語家の桂歌丸氏が生涯に渡って住んできた街でもある。幕末の港崎遊郭の時代から続いた遊郭の歴史は昭和33(1968)年の売防法施行により生涯を閉じた。 そんな歌丸氏を育んだ...

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横浜赤線地帯 永楽町・真金町「永真遊郭」跡 (1)

横浜市南区、地下鉄阪東橋駅が最寄りのド下町商店街「横浜橋通商店街」は連日貧民相手に安売り大戦争勃発中のエネルギッシュでヤバイ商店街だが、そこから外れた永楽町・真金町界隈は「永真遊郭」という元赤線地帯だった。 この永真遊郭は横浜における遊郭...

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湘南DEEP「藤沢」 (7) 仲好会飲食街

藤沢駅北口、辰巳町の歓楽街はその殆どが平凡なマンション街に変わろうとしていて、昔から続く風俗店やスナック、バー、居酒屋が入る建物は街の新陳代謝を受け入れるかのごとく次々姿を消しているような状態だった。 もう一ヶ所、銀座通り北側の路地に「仲...

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湘南DEEP「藤沢」 (5) 消えた小鳥の街

藤沢駅北口に残る「旧辰巳町」の赤線の痕跡を引き続き辿る事にする。 飲食朋友会のバラック酒場を抜けて、耐震強度偽装問題で建て直されたマンションを過ぎると、その向こうにもまたまた飲食街が姿を現す。 先程と同じように個人経営の小さなスナックが密...

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湘南DEEP「藤沢」 (4) 飲食朋友会バラック<後編>

藤沢駅北口、藤沢銀座通り(サムジュモール)の脇に残る「飲食朋友会」バラック酒場の廃墟。それは街に暮らす人々の記憶の片隅にすら失われた昭和の風景、それも旧辰巳町の赤線地帯の名残りという、どす黒い街の澱が色濃く残る空間。 こんな物凄い場所だが...

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湘南DEEP「藤沢」 (3) 飲食朋友会バラック<前編>

再び藤沢駅北口に戻り、今度は駅北口から北西方向に伸びる「銀座通り商店街(藤沢銀座土曜会)」に沿って歩く。 先程の旧辰巳町の空き家と駐車場だらけの不気味な光景とは真逆の繁華街が連なる銀座通り。サムジュモールという焼肉に巻く野菜みたいな韓国語...

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湘南DEEP「藤沢」 (2) 東海道藤沢宿の飯盛旅籠

藤沢駅北口のペデストリアンデッキを降りた、柳通り北側一帯の「辰巳町」と呼ばれていた街は、かつては藤沢新地という遊郭だった場所と言われているが、その殆どが広大な駅前駐車場に様変わりしており、当時の様子を窺い知る事もできない。 駅北口から真っ...

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五反田に残る怪奇の旅館「海喜館」

五反田に残る怪奇の旅館「海喜館」

五反田が戦前、花街として賑わったという歴史はそこかしこで耳にしたものの、今更来て見てもどこにその名残りがあるのかさっぱり分からない。 先にも記した通り、五反田駅西側一帯は戦時中の空襲で焼け野原となった経緯があるためだが、そんな五反田の...

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東向島・私娼窟の痕跡「玉の井」 (2)

玉の井いろは通り商店街から北側の路地に入ると、戦後に再興した私娼窟の痕跡がわずかながらに残っている。 いかにも怪しげな路地裏にずらりとスナックや小料理屋の看板が密集している光景を見ると、ここがかつての赤線の名残りだったのかと思わせるに充分...

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東向島・私娼窟の痕跡「玉の井」 (1)

東京の遊郭と言えばもっぱら吉原が知られているが、売春防止法施行以前の戦後の時代までは東京各地に公娼、私娼を問わず遊郭が存在していた。 墨田区東向島にも、玉の井という有名な元赤線地帯があり、かの永井荷風が通い詰めたという私娼窟は戦災で姿を消し...

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開国博の為に潰された横浜最強の暗黒街「横浜黄金町」ビフォーアフター (全3ページ)

開国博の為に潰された横浜最強の暗黒街「横浜黄金町」ビフォーアフター (全3ページ)

神奈川県に限らず関東最大の売春窟として栄えた暗黒街・黄金町は警察の浄化作戦によってことごとく壊滅させられた。それから5年余りが経つが、もうどうしようもない程の悪名を轟かせた街にも、少しずつであるが変化が訪れていた。

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横須賀三遊郭「安浦」 (3) 遊郭の隣は小泉さん家

さらに安浦遊郭の跡地を巡って路地裏を徘徊し続ける。 また一つ、遊郭時代の電灯がそのまま残っていた。頭上の位置には何かしら看板が掛かっていたと思われる骨組みが見られる。もしかすると「ぬけられます」などと書かれていたのか。 その背後の赤い外壁...

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横須賀三遊郭「安浦」 (2) 私娼街の名残り

横須賀の遊郭の歴史は、横須賀が軍港として開かれる幕末に遡り、横須賀製鉄所の造営にあたったフランス人技師ヴェルニーの要請で、当時の建設工事に従事するフランス人や関係者を慰安するため最初に開設されたという大滝町の公娼街(後に大火で柏木田に移転)...

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横須賀三遊郭「安浦」 (1) 県立大学駅

軍都・横須賀には戦前から軍関係者や関連産業で勤める労働者を慰安するために街の各所に遊郭が作られた。もちろんそれらは昭和33(1958)年の売春防止法施行により表向きには姿を消したが、今も建物などが生々しく残っているだけでなく、細々と「営業」...

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元赤線地帯・船橋「海神新地」 (3)

船橋市本町二丁目、元赤線地帯「海神新地」跡地の一角には古い住宅地に今もソープランドやストリップ劇場が残る独特の空間が存在している。 住宅地の中にぽつんと佇むのは千葉県内に残る最後の2軒となったストリップ劇場のうちの一つ「若松劇場」である。...

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