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【滝山コミューン一九七四】東久留米市の陸の孤島ゾーン「滝山団地」の行き遅れた街並み

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同じ東京でも23区外にあたる多摩地域はその多くが戦後に開発されたベッドタウンとして発展してきた街だが、中央線や京王線、もしくは小田急線が走る多摩中南部とは打って変わって、しょぼくれた昭和なボロ団地や狸でも出そうな雑木林や田畑が広がり、埼玉同様に山田うどんのかかしがロードサイドで回っているような、21世紀の今の時代にも平然と田舎臭い光景が残っているのが多摩北部の西武線沿線の街である。

今回やってきたのはそんな多摩北部の鄙びた田園地帯が中途半端に残る地域に存在する「滝山団地」という場所。車で行く分には新宿から青梅街道へ田無へ、さらに新青梅街道を経て片道1時間もあれば来られる。しかし鉄道駅はとても歩ける距離にはなく、西武池袋線東久留米駅か、西武新宿線花小金井駅から西武バスに乗らなければならない。つまり陸の孤島と言われるような場所にある。

それにこの団地は東久留米市に属するが、同市内の中心となる東久留米駅よりも小平市に属する花小金井駅の方が距離的にも近く、こちらに向かう路線バスの方が発着数も多い。路線バスは他にも清瀬駅行きやひばりヶ丘駅行きというのもある。いずれにしても西武バスが団地住民の生命線である。

そんな不便な土地に約3200戸もの大型団地群が建設されたのは高度経済成長期真っ只中の昭和43(1968)年のことである。人口増加で急激な膨張を続ける首都圏では郊外に大規模団地がどんどん作られていった時代にあったわけで、この滝山団地も旧日本住宅公団により田園地帯の雑木林でしかなかった場所を大胆に開発して生まれた団地の一つだ。

滝山団地にあるのは賃貸もしくは分譲の公団住宅のみで、低所得者が入居する都営住宅は存在しない。したがって当時働き盛りだった中産階級のサラリーマン世代が主な入居世帯である。70年代に夫婦と子だけの核家族の走りとなった世帯が「団地暮らし」という戦後生まれのニューライフに憧れを抱き、西武線とバスを乗り継いで行かなければならないこの新天地に続々移住してきた。

だが既にこの団地も街開きしてから半世紀近くが経過している。団地住民の高齢化が著しいのは言うまでもない。滝山団地を抱える東久留米市滝山二・三・六丁目の高齢化率は東久留米市全体のそれを大きく上回っている。

滝山団地の70年代を記した「滝山コミューン一九七四」

滝山コミューン一九七四 (講談社文庫)

この団地の存在をそれとなく知ったのは当地出身の原武史氏という政治学者が自らの幼少期を過ごした記憶を元に書かれた自伝的著書「滝山コミューン一九七四」を読んだからだ。

著者は団地の閉鎖的環境に嫌気が差し中学受験の末に慶應義塾に合格、その後早稲田大学を卒業し現在は田園都市線沿線で暮らしているというが、西武と東急の沿線開発の比較だとかを自らの過去と現在に照らし合わせて色々ぶっちゃけて書いてしまっていて読み応えがある。

本書は幼少期の筆者を含めたこの巨大団地の住民が通う東久留米市立第七小学校での経験が主な内容だが、全共闘世代の学生上がりの新社会人教師がとんでもないアカっぷりで、日教組ゆずりのソ連式の集団教育を実践し生徒や学級を支配していたということが生々しく、しかも枝葉末節に至るまで詳細に書かれている。

本の題名に「コミューン」とついているのがまた香ばしいわけだが、旧ソ連の国々に住む人々の多くが団地に住んでいたように、滝山団地という隔絶され均質化された空間がまるで日本の中の小さな「ソ連」のようであったというニュアンスが込められたタイトルなのだろう。本書にある第七小学校というのは、団地の子供が相当減少したとは言え、未だに現存している。

その滝山団地の70年代を記した書籍の著者が本の取材のために当地に数十年ぶりに訪れた時に、自らが住んでいた幼少期と何ら街並みが変わっていないことに驚嘆する記述があったが、当方が持った印象も「70年代の街並みそのまんまだな」と言う他ないものである。そのまま住民が高齢化しただけで、あと気になるものと言えば団地の家賃値上げに反対する自治会の幟がバス停付近に大量に掲げられているくらいか。

滝山団地のメインストリート「滝山中央通り」が文字通り団地の中央を東西にぶち抜いている。この中央通り沿いに団地住民が普段の買い物を済ませる商店街だとか、イトーヨーカドーがディスカウントストアに衣替えした「ザ・プライス滝山店」などが立ち並んでいる。ところで「ザ・プライス」はヤバイ地域にしか店がない気がするんですが如何でしょうか。

団地はこの滝山中央通りに沿って約1キロ近くも東西に広がっていて、商店もこの通り沿いにかなりの数がひしめいている。バスに乗らなければどこにも行けない陸の孤島なので、こう見えても団地の中心にある商店街はさほど寂れてもいない。滝山団地の中心、滝山中央名店街については次回以降のレポートで詳しくお伝えしようと思う。

滝山五丁目商店会の寂れっぷりが凄まじい件

一方でとんでもない寂れっぷりを見せているのが同じ滝山団地内にある「滝山五丁目商店会」の一画だ。団地の中心部から西側に広がっている商店街で、ここにも西武バスの滝山五丁目停留所がある。

このバス停の真ん前が広い歩道に面して両側に個人商店が立ち並ぶ商店街になっているのだが、随分と寂れてしまっている。昔はおそらくもっと沢山の店舗がひしめいていたと思わせる一画だが、今では中央名店街の方に商店街の機能が集約されてしまった感じがある。

滝山団地やその周辺地域には歩行者の安全を図るために整備された幅10メートルの遊歩道が南北に貫いている。この商店街はその遊歩道の一つに数えられる箇所だが、まだバリアフリーという概念も希薄だった60~70年代にこのような歩車分離設計が取られた住宅地は珍しいものだったそうですよ。

団地住民向けの渋い佇まいの夜の社交場といった感じのパブスナック。まだここは現役っぽいですね。ただならぬ場末感を放っております。

そこから角を折れた先にも店舗がちらほら見られる。しかしここの右手にまた渋すぎる店構えの中華料理屋があるんですが…

その店の看板には「中華料理珍来」とある。茨城発祥で首都圏各地(特に北と東の方角)の貧乏臭い街に大抵目にする大衆中華チェーンの珍来と同じ系列なのだろうか。

一方で滝山中央通りに面した側は土着感溢れるだんごと惣菜の店「だんごの美好」なんかがあったりするんですが、だんごにおにぎりに唐揚げという炭水化物&揚げ物メニューの充実率がさすが団地クオリティと言うべきか。

その他はババ服屋があったり、おしなべて高齢者向けの商店が健在である。これらの店舗も団地住民の最初の世代が居なくなる頃には姿を消しているかも知れない。

元少年Aも住んでいた足立区の花畑団地ですら若者世代を当て込んでリノベーションが加えられるなどしているように、23区内の団地ならまだしも、西武線とバスを乗り継いで来なければならない僻地に今更若い世代が好んでやってくる兆しもない。やはり滝山団地は行き遅れた陸の孤島の団地なのである。


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東京DEEP案内の管理人です。2008年の開設以来、首都圏一都三県の街歩き情報を淡々と記録し続けております。いわゆる日陰者的物件、観光地にもならない場所、ちょっとアレな地域を見物・考察する事を趣味としております。2017年6月15日、単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を発売。
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