【聖蹟桜ヶ丘】ジブリ映画・耳をすませばで超有名な多摩市の「桜ヶ丘住宅地」って本当に寂れているのか?

多摩市

たまたま多摩市の「聖蹟桜ヶ丘」にやってきた当取材班、駅周辺が京王グループのシマになっていて京王電鉄本社や関連会社のオフィス、商業ビルが数多く立ち並ぶ様子を見てきたわけですが、何よりもこの街のシンボルとなっているのが駅の南側にある高台のニュータウン「桜ヶ丘住宅地」の存在である。

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この桜ヶ丘住宅地を知っている人間が十中八九挙げると思われるのが1995年のジブリ映画「耳をすませば」のモデルとなった街であるということだ。毎年恒例で放送される日テレ「金曜ロードショー」のジブリ作品の中では「天空の城ラピュタ」の放送がバルス祭りと称され2chやツイッターでの実況が賑やかになるのに対し、こちらの方はさっぱり盛り上がらず不人気作品の一つとなっている。しかし大林映画をオマージュしたかのようなくすぐったい恋愛モノということから一部熱狂的な「耳すま」ファンが存在しているのも事実だ。

で、そんな桜ヶ丘住宅地とやらを見に行こうとしたんですが…徒歩で行くと高台の上の住宅地まで延々と階段を登らなければならず老人や身体障害者には厳しい環境であることを身を持って体験できる。車や路線バスだとつづら折りの「いろは坂」を登ればすぐなんですがね。駅から坂を登りきるまで既に片道15分以上かかる。

坂を登りきったところにある金比羅宮もまた「耳すま」の重要シーンに登場する神社のモデルとはっきり案内板に書かれていて、さぞかし「聖地巡礼」に来る観光客が多いことが伺える。しかし桜ヶ丘住宅地の何が個人的に気になっていたかというと、別に耳すまやジブリがどうこうではなく、もっと別の理由がある。

桜ヶ丘住宅地が凄まじく寂れていてヤバイという話

それは「日刊SPA!」サイトの記事で桜ヶ丘住宅地が以下のように触れられているのを見て、実際どんなものか確かめに来たかった、という理由である。とんでもない秘境や通勤困難地帯に存在するニュータウンを「限界マイホーム」と称し大好物である我々がこの場所を押さえていないのは、ちょっとどうかと我ながら思いましたね。はい。
宮崎アニメでも知られたあの高級住宅街が寂れた街に…まるで「陸の孤島」!?

この桜ヶ丘住宅地がニュータウンとして整備されたのは戦後の昭和30年代のことである。昭和31(1956)年に当時の京王帝都電鉄が田園都市建設を目指し山林だった当地一帯を買収し住宅や道路、水道・電気といったインフラをごっそりと整備、当時は都市ガスもなかったので、京王ガスという会社を立ち上げガスを供給していた。昭和37(1962)年に第一期分譲が開始、その後昭和46(1971)年に全1300区画区画を完売している。

当時の多摩村は人口が急増し、桜ヶ丘住宅地の街開きから間もない昭和39(1964)年に多摩町に、そして昭和46(1971)年に多摩市として市制施行が始まった。完成当時の桜ヶ丘住宅地は他の私鉄沿線のニュータウン(田園都市線沿線とか)にもあるように「郊外のゆったりとした住環境」を実現させるべく1区画平均100坪の広さを持ち「広~い庭の一戸建て分譲住宅」(By磯村建設)が中心に建てられてきた。その街並みは基本的には保たれているように見える。

しかし70年代になると土地が分割され30坪ほどの小規模住宅が開発され始め、街の景観を破壊すると危機感を持った住民によって敷地を最低49.9坪以上とする「建築協定」が制定され、桜ヶ丘二丁目を中心とした地域に適用されている。その後多摩市による「地区計画」に協定が引き継がれ現在に至る。

桜ヶ丘住宅地も街開きしたばかりの頃はまさに多摩のビバリーヒルズの如き高級住宅街扱いだったが、今となっては中産階級と呼べる住民が中心となっているのが現実である。街開きから半世紀以上経っているのだから「オールドニュータウン」と呼んで然るべきだ。桜ヶ丘の南側に広がる多摩ニュータウンの団地群も体裁は随分異なるが、住民の高齢化が激しい点では全く共通している。

確かに働き盛りの世代には新宿駅からも遠く最寄り駅からも離れた高台にあるニュータウンは不便極まりなく、若い世代がごっそり抜けてしまい残った住民は建築協定が仇となって土地を手放せず山の上で隠居生活を送るしか無い高齢者ばかりになるのは致し方ない。しかしすれ違う住民もその多くは高齢者だが、みんな穏やかそうだし、SPA!の記事のようにゴーストタウンそのもののように書かれている様子とは少し違うように思える。

敢えて言うとするなら、ニュータウンのとある一画に随分築年数が経過した平屋の戸建て住宅が並んでいるあたりが香ばしいですかね。まるで北茨城の神の山住宅や足尾を彷彿とさせる炭鉱住宅のような佇まいのそれである。だが棟割長屋になっているわけでもなく一つの建物に一戸であるのが相違点だが。

このあたりは既に後期高齢者と化した住民の「終の棲家」のような感じで、そのうち消えて無くなる運命にありそうだ。しかしこんな末期的な光景は桜ヶ丘住宅地の中のほんの一部分でしかない。

すっかりSPA!の記事を鵜呑みにして来てしまったので、放置された豪邸が廃墟化し荒れ果てて…という姿をイメージしていたが、さっぱりそんな家は見かけなかったし、そして新築の建売住宅も未だに作られているので、今でも一定の住宅需要はあるのだろう。

個人的な感覚では、桜ヶ丘住宅地はまだまだ全然「限界マイホーム」と呼べるほどの荒廃ぶりを感じることはない。もっと過酷そうな場所は他にもまだまだたくさんある。埼玉の山奥の寄居だかにある磯村建設分譲地とか毛呂山あたりの新興住宅地の住民に比べれば全然恵まれている。

「耳すま」聖地、桜ヶ丘住宅地のロータリー

桜ヶ丘住宅地の中心とも言えるのが、このロータリーである。聖蹟桜ヶ丘駅方面のいろは坂から伸びる「いろは坂通り」を道なりに来るとここに突き当たる。ロータリーの内側はヨーロッパの交差点ではありがちな「ラウンドアバウト」で、左折のみの一方通行である。

このロータリーも「耳すま」ファンの間では重要な聖地巡礼スポットの一つになっている。作中に登場する骨董品屋「地球屋」のモデルとなった場所で、我々がうろついている間も明らかに住民ではない若いカップルが有難そうに写真を撮って回っていた。ちなみに地球屋のモデルとなった店舗が「桜ヶ丘邪宗門」(荻窪や世田谷などに複数店舗ある喫茶邪宗門の系列)で、このロータリーとは無関係な場所に店があったが、既に店主の他界で閉店となっている。

実際の桜ヶ丘住宅地のロータリーに面した場所には「地球屋」ではなく二階建ての特徴的な丸いアールを描いた商店ビルがそびえている。ここが桜ヶ丘住宅地で唯一の商店街という扱いになる。生鮮食品店は魚屋と肉屋が一軒ずつしか見当たらない。ここで普段の生活不可欠品を揃えることは不可能だ。あとは蕎麦屋とか、二階席に座ってロータリー付近の景色を眺められる喫茶店なんかがある。

桜ヶ丘住宅地内にはコンビニやスーパーの一軒すらなく、住民の多くは自家用車か路線バスで山の下の聖蹟桜ヶ丘駅まで降りて買い物を済ませなければならない。もしくは生協か何かの生鮮食品配達サービスでも使わないと普段の生活もままならないであろう。

そんな商店街の一角にあるのが洋菓子「ノア」。店内は「耳すま」一色であり当然ながらファンが多数訪れる場所となっている。年老いた奥様が店番をしておられた。そう言えば「耳をすませば」は公開から20年以上も経過しているのだ。奇遇にも訪問直後に日テレの「金曜ロードショー」で同映画が放送されたのでいくつかのシーンを見て現在の光景と比べたが、そりゃ20年も経てばあちこち違いも出るわけだ。

それでも桜ヶ丘住宅地は滅びることはないだろう

完成から半世紀が経過したオールドニュータウンの代表格「桜ヶ丘住宅地」だが、どれだけ空き家が増えてゴーストタウン化しようとも、この丘の上から見える多摩丘陵の街並みを気に入って住み続けている地元民も決して少なくはないはずだ。考えようによっては「新宿から30分プラスアルファ」でこの住環境が手に入るのだから、現役引退後の老夫婦が静かに暮らすだけであれば悪くない選択肢である。もっとも、車の運転は出来た方が良いには決まっているが。

同じ山を切り開いただけの街なのにやけにプライドも家賃相場も高い田園都市線の青葉台とかたまプラーザあたりの語尾にザーマスとか言いそうな連中がいるような、ふんぞり返った「鼻につく感じ」もしないのが良いよね。


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