東京拘置所の中に合法的に入れるチャンス!「東京拘置所矯正展」に行ってきた

葛飾区

東京拘置所で矯正展が開催されるという話を聞いて、矢も楯もたまらず小菅に出向いた我々取材班。これまで東京拘置所は一般開放される機会が無かった為、ある意味秘密のベールに包まれた場所でもあったのだが、新庁舎が完成した2012年から毎年矯正展が開催される日に一般開放される事になったそうだ。前回は拘置所の周りをお散歩しただけだったが、今度は中に入れるんですよ。しかも合法的に。

再びやってきました小菅の東京拘置所へ。驚いた事に、以前訪れた時に見かけた拘置施設ならではの高いコンクリート塀が全て取り払われていたのだ。地上12階建て、地下2階建ての超大型監獄は3000人余りが収容可能、指紋認証つきドアや強化ガラスなど最新設備をもって脱獄不能な要塞としてこの地に生まれた。新庁舎は高層化したため、拘置所自体の敷地にもだいぶ余裕が生まれており、周囲は建て直された職員住宅や公園などが整備されて随分開放感ある作りに変わっていたのも印象的だった。

東京拘置所矯正展は2013年10月12日(日曜日)に開催。時間は9時半から15時までと限られていたので翌年以降来場の方は注意。東武伊勢崎線小菅駅から徒歩が基本だが、千代田線綾瀬駅から向かう事もできる。この日は10月なのに気温30度越えで糞暑かった。一応敷地内に入る前に荷物検査を受ける必要があります。ゲバ棒とかヘルメットの持ち込みはいけませんよ。

堂々の「東京拘置所」のプレートが眩しすぎる。よもや日本最強の拘置施設に入れる事ができるなんて時代は変わりましたよね。感極まってこのプレートの前で記念撮影しまくっている人の姿も多かった。今までは人権ナントカ団体に入って見学を申し込むか何か法的に悪い事をしなければ入れなかった訳で、今回は合法的に東京拘置所への敷地内に入る事が出来ました。開催時間の午前9時半には女優藤原紀香さんのテープカットもあったそうですよ。

正門を潜るともう目の前が新庁舎である。監獄として機能する庁舎とそれ以外の一般開放スペースとを隔てるものが全く無いのだ。あの中には最大3000人もの受刑者や未決拘禁者及び死刑囚が暮らしているのだが、まるで実感が湧かない。向こう側の声や生活音はもちろん聞こえないし、此方側の雑踏やステージの歌や音楽も聞こえていないのだろうか。

東京拘置所矯正展は2012年から初めて開催されていて今回が「第二回」。何も問題が無ければ来年10月にまた行われるはずだ。そういえば2010年にも東京拘置所は死刑囚に絞首刑が執り行われるあの「刑場」を史上初公開している。全国8ヶ所にある拘置所の中でもとりわけ東京拘置所は「開かれた拘置所」を目指しておられるそうです。

さすが矯正展というだけあって敷地内各所に全国の刑務所及び拘置所の受刑者が刑務作業で作った家具から日用品までありとあらゆる製品が陳列されまくっていた。気に入った製品があれば買って行くもよし。眺めるだけでもよし。

地上12階建ての新庁舎、その足元にまで近づけてしまうのだから驚きだ。窓には鉄格子すらなくルーバーのついた強化ガラスが施されているのみだ。下から見上げても被収容者の様子は一切分からないし、またその逆も同様。最新技術をもってプライバシーが確保されている。空しか見えないんだって。

屋上にあるドーム型のネットの内側にあるのは運動場である。地上にある運動場とは被収容者の区分によって分けられているそうで、屋上の運動場は未決拘禁者が使っているそうだ。網があるのは当然ながら逃走防止の為。まあでも12階建てから飛び降りたら普通死ぬだろうけど。

そんな東京拘置所にはオウムの麻原や埼玉愛犬家事件の夫妻といった名だたる死刑確定囚が70人程度ぶちこまれている訳だがそんな物凄い建物の前で家族連れが集まる平和そのものなイベントが開催されているというギャップがたまりません。

 

矯正展の目玉だったらしい「プリズン弁当」は午前中早々に売り切れておりました。拘置所のメシを再現して作られ「特に人気のあるおかずをチョイスして」あるというプリズン弁当350円。なんだかオリジン弁当みたいなノリですがこうやって見ると美味そうである。行列しないと買えないというので気の短い我々は遠慮しましたが…

現在一部分だけ残されている東京拘置所の旧庁舎も見て行きましょう。昭和4(1929)年に建てられたもので、鶴が羽ばたくような格好のデザインが特徴的ですね。これも東京拘置所の一般開放がされるようになるまで直接見る事ができなかったものだ。旧小菅刑務所時代からあった建物で、それ以前の東京集治監時代の建物は関東大震災で全壊したので、震災後建て直されたものになる。

鶴の頭の部分に相当する監視塔がこれまた渋過ぎて泣ける。昔はこの監視塔を中心に各監房が配置されていた訳だが、現在は管理棟を除く大部分が取り壊されている。かつて「喜劇王」と呼ばれたアメリカの俳優、チャーリー・チャップリンが来日時に「その国の文化を見るには、監獄を見るのが一番良い」との事で見学に来た事があって、この旧庁舎の建物の立派さに絶賛しまくってたらしい。

すぐ隣に最新設備を誇る超ハイテク高層監獄が完成した中でこの建物も御役御免といった所であるが、今の時代にチャップリンが生きていたら新庁舎をまた絶賛していたのだろうかね。不沈艦のような新庁舎もカッコいいけど、やっぱりクラシックなプリズン感を漂わせる旧庁舎の方が見た目にはしっくり来る。

旧庁舎の玄関口付近もそのまま残されている。老朽化もあって建物をいつ取り壊すか分からない状態だが、保存も検討されているらしい。拘置所というレアなカテゴリーにおいてこれだけの歴史建築はただでさえ珍しいのに、あっさり解体してしまうのはそりゃ勿体無い。是非残っていて欲しい。

それとあと一つ、旧庁舎の建物そばに残された「開かずの門」と呼ばれる東京集治監時代の監門も記念撮影コーナーとして一般開放されていたのだ。これはレア中のレア。東京集治監がこの土地に建てられた明治12(1879)年当時のもので、関東大震災で集治監の建物は全壊したもののこの門だけは無事で、小菅刑務所として建て直された時に記念に残されたものになる。

この開かずの門、管理棟の通路を抜けないとここに辿り着けず、そもそも東京拘置所がイベントで一般開放されるようになったのも去年からの事である。一般人が実物を見られる機会がこれまで無かったものだ。いやがうえにもテンションが上がりっぱなし。だって「明治初期の監獄の門」ですよ?集治監時代にはこの小菅から煉瓦作りに長けた技能囚が作った煉瓦が全国各地に送られ、近代建築の礎を担っていたのだ。

新庁舎の中まではさすがに開放されていなかったので、休憩所として使われていた別棟で拘留者の居室の模型などが置かれて職員の方が色々説明に応じていた。見た目には他の刑務所や拘置所のそれと大差ないようだが、被収容者や居室は一つ一つ完全にコンピュータ管理されていて、居室外に出る時の行き先表示システムや領地物品(拘置所預かりの私物)自動搬送システムといったものが活用されている。

そんな訳で日本最強の巨大拘置所の一端を見る事が出来て満足した一日でした。また来年10月まで待てば一般開放されるので今年行き逃した方は、また次の機会にどうぞ。

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