盲腸線「西武豊島線」に乗って豊島園へ (3) 練馬十一ヶ寺

豊島園と言えば遊園地というイメージしかないが、西武線の駅から遊園地に行かずに反対側に出ると、あまり想像していなかった独特な街並みが姿を現す。

それが「練馬十一ヶ寺」と呼ばれる一画。周りは正直何の変哲もないフツーの住宅地でしかないのだが、ここだけ寺が密集している。練馬という地味な場所にあるのでなおさらその存在に気づかなかったが、ここに寺が集まっているのは色々と事情があったようだ。



西武線の駅ではなく大江戸線の豊島園駅が通っている道沿いから見える寺町。十一ヶ寺の名の通り、入口方向から時計回りに「仁寿院」「迎接院」「本性院」「得生院」「九品院」「林宗院」「称名院」「受用院」「仮宿院」「宗周院」「快楽院」と11軒の寺が向き合って連なる。

これらは元々浅草の田島町にあった誓願寺の塔頭寺院で「田島山十一ヶ寺」とも称するものだが関東大震災をきっかけに寺ごと練馬に一斉移転してきた。

各寺院ごとに外観が全く違っていたり個性が見られる訳だが、比較的建物は新しめのものが多く、谷中あたりの寺町らしい情緒かと言うとそれもちょっと違う気がする。関東大震災後だと大方80年という所だが、寺院の80年ってまだまだ新しい部類に入るし。

これらの寺は全て浄土宗田島山に属するが、元の本坊であった誓願寺は府中市の多磨霊園正門前交差点近くに移転していて現在は無関係なんだそうだ。

こうして寺町が一斉移転するわ、ときわ台やら田園調布などの東京西側の郊外住宅地の開発が活発化するわと関東大震災の影響がよほどのものだった事は80年以上経った現在でもあちこちで見受けられる。

80年前の大地震が「西側」開発が進んだ要因になったが、つい最近起きた東日本大震災で再び津波や液状化の心配がない「西側」に住宅需要が高まっている訳で歴史は繰り返されると言うべきか。

「宗教はこの愚かな私を救うためにあります」人間誰しも藁をも縋る気持ちになる時、宗教に救われる者もいれば、カルトに引っかかって足元を掬われる者もいる。

十一ヶ寺の奥から2番目、九品院の境内脇には小さな祠が祀られている。そこに「蕎麦喰地蔵尊」と書かれた碑が建っているのが見える。

まだ十一ヶ寺が浅草にあった時に近所の尾張屋という蕎麦屋に毎晩蕎麦を食べに来る坊さんがいて不思議に思った店主が坊さんの後をつけたら田島町のお寺に居たお地蔵さんが実は坊さんに化けてたという逸話に基づいている。やっぱり東京は蕎麦の文化だよな。江戸時代からずっと。

で、十一ヶ寺を突き当たりまで進むと大仏様が鎮座していて、奥の土地は墓地として使われていた。傍らに由緒が書かれている。元々誓願寺自体も小田原にあったが江戸時代初期に神田に移り、振袖火事の後に浅草に移転したとある。

十一ヶ寺の墓地は共同墓地になっていてどの寺のものという訳でもなく設備も共用している。手桶にも特定の寺院の名前じゃなくて「十一ヶ寺」と書かれていたり、この辺も珍しい特徴である。

これでいいのか東京都練馬区 (地域批評シリーズ日本の特別地域 13)
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