三方を運河、一方を海で隔てられた洲崎遊郭、出入口は大門通りの洲崎橋にしかないものと勝手に思っていたが、実は洲崎遊郭跡の西側にも西洲崎橋という橋が架かっている。
ところが昭和22年の地図を見るとこの橋が無かった。戦後になって建造された橋だろう。西洲崎橋を渡った先は木場六丁目となり厳密には洲崎遊郭からは外れるのだが、洲崎神社があるので、ついでに見に行く事にする。
GoogleMapsを読み込んでいます |
三方を運河、一方を海で隔てられた洲崎遊郭、出入口は大門通りの洲崎橋にしかないものと勝手に思っていたが、実は洲崎遊郭跡の西側にも西洲崎橋という橋が架かっている。
ところが昭和22年の地図を見るとこの橋が無かった。戦後になって建造された橋だろう。西洲崎橋を渡った先は木場六丁目となり厳密には洲崎遊郭からは外れるのだが、洲崎神社があるので、ついでに見に行く事にする。
洲崎遊郭は戦災で一度壊滅してしまっているだけに、戦後「洲崎パラダイス」として復活したカフェー街はともかく、それ以外の土地には戦後の住宅難という事情でどんどんアパートが作られたようで、南開橋に近い南側に行けば行く程ボロアパート率がぐんと高くなる。
南開橋に近い側の洲崎遊郭跡には昭和30年代くらいに建てられたような古いアパートがそこかしこに転がっている。
吉原と肩を並べる程とまで言われた深川洲崎弁天町の遊郭。しかし今では単なる住宅街に変わってしまっているとは言え、そのまま何も見ずに素通りで帰る訳にもいくまい。
戦後十数年間だけであったが、洲崎の大門通り東側一帯は洲崎パラダイスという赤線地帯として賑わっていた。その痕跡が殆ど残っていないにせよ、現在の街並みにもどこかしら匂いが感じられるかも知れない。そう思って洲崎の住宅街を探索し始めた。
洲崎遊郭は郭の三方を運河に、一方を海に囲まれた出島状態の土地で、運河の存在が外界との境目であった。しかし現在はその北側と東側が埋め立てられていて、洲崎パラダイスの玄関口だった洲崎橋にやってくると、橋の跡地を示す石碑が置かれている。
かつてこの橋の下には洲崎川があったが、それも昭和57(1982)年に埋め立てられて現在は緑道公園として使われている。永代通りの東陽三丁目交差点も元は洲崎橋交差点で、洲崎の地名は郵便局や金融機関の支店名に残ってはいるものの、徐々に姿を消そうとしているようだ。
洲崎遊郭跡は殆どがマンションやアパートが立ち並ぶごく普通の住宅街に姿を変えてしまっている訳だが、戦後の赤線地帯として遊郭の東側に開かれていた「洲崎パラダイス」の敷地には、今も数える程だが、独特のカフェー建築が残る場所がある。
まずは洲崎の大門通りから。東側の一部分は「東陽弁天商店会」というちょっとした商店街になっていて、アーケードも掛かっている。