目黒川沿いの遊歩道から幽霊旅館などと言われる謎の旅館「海喜館」の外観を眺める。
恐らく大正時代か昭和初期に建てられたであろう建物は、少し離れて見てみると、気品を残す高貴な老婆のような姿で腰を据えて佇んでいるようにも見える。よくぞ戦災に呑み込まれずに今日日まで生き残っていたものだ。
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目黒川沿いの遊歩道から幽霊旅館などと言われる謎の旅館「海喜館」の外観を眺める。
恐らく大正時代か昭和初期に建てられたであろう建物は、少し離れて見てみると、気品を残す高貴な老婆のような姿で腰を据えて佇んでいるようにも見える。よくぞ戦災に呑み込まれずに今日日まで生き残っていたものだ。
五反田が戦前、花街として賑わったという歴史はそこかしこで耳にしたものの、今更来て見てもどこにその名残りがあるのかさっぱり分からない。
先にも記した通り、五反田駅西側一帯は戦時中の空襲で焼け野原となった経緯があるためだが、そんな五反田の街、目黒川沿いの一角に奇跡的に花街時代の趣きを残す宿がある。
で、またしても池上線の鉄橋が見える大崎橋の上にやってきた。春には川の両岸に植えられている桜が開花して、周囲のマンションやオフィスビル、池上線、遠くに見える大崎駅前のタワーマンション群と一体となって、壮観な都市景観が見られる。
JR五反田駅から南に5分程歩くと山手通りと交わる大崎広小路交差点と、東急大崎広小路駅がある。池上線開業当時は終着駅だった影響で五反田駅からやたら近い位置に駅が存在している。
交差点の角には「ゆうぽうと」という巨大なシティホテルが建っていて、ランドマーク的存在となっている。その名の通り、元々は日本郵政公社によって建てられた東京簡易保険会館で「かんぽの宿」などと同類の宿泊施設だったが、郵政民営化後はホテル事業を民間委託して営業が続いている。
今では怪しげな街というよりも表向きのオフィス街の色彩が強まり、傍目から見るとそうとは思えない五反田という街の歴史。
しかし戦後は五反田駅西側一帯が焼け野原となり、長らく目黒川沿いの両岸には闇市上がりの飲食店街が独特の景観を作り出していたと言われる。殆ど名残りも残っておらず、辛うじて周辺の雑居ビルなどに痕跡を見る事ができる。
五反田駅周辺でも特に戦後の闇市風情が残っていた池上線ガード下の付近。今では最後の名残りとなる「新東京会館」も解体の憂き目に遭っている。
盛り場の跡というのは、本来の街の姿である夜に訪れるとただならぬ寂寥感を漂わせているもの。戦後の住宅難やドサクサ紛れに高架下建築というものが黙認される形で存在し続けていた訳だが、それも時代とともに消えゆく運命にある。