戦前までは東京市中最大のスラム街と言われてきた場所だが、隅々まで見渡すと未だに独特の地形や家々にその名残りが垣間見えた鮫河橋谷町もとい、新宿区若葉二丁目、三丁目界隈。このごくごく狭い谷間の土地に最盛期には約1400戸5000名もの貧民が流入していたと言われる。
そんな住宅街を後に、最後に谷筋を行く道の終着点まで出て行く事にした。鮫河橋谷町は赤坂迎賓館に面する池と、その奥の谷戸に広がる低湿地で、池に注ぐ鮫川に架かっていた橋を鮫河橋といい、それが地名の由来だ。
GoogleMapsを読み込んでいます |
戦前までは東京市中最大のスラム街と言われてきた場所だが、隅々まで見渡すと未だに独特の地形や家々にその名残りが垣間見えた鮫河橋谷町もとい、新宿区若葉二丁目、三丁目界隈。このごくごく狭い谷間の土地に最盛期には約1400戸5000名もの貧民が流入していたと言われる。
そんな住宅街を後に、最後に谷筋を行く道の終着点まで出て行く事にした。鮫河橋谷町は赤坂迎賓館に面する池と、その奥の谷戸に広がる低湿地で、池に注ぐ鮫川に架かっていた橋を鮫河橋といい、それが地名の由来だ。
四谷界隈は戦後になって、かつての寺町や下町の風景が高級マンションに建て替わり、迎賓館や学習院初等科、上智大学といった施設が目立ち表向きには知識層の街に取って代わった訳だが、それだけに現在の若葉二丁目、三丁目に残る「鮫河橋谷町」と呼ばれた街の存在は衝撃的だ。
若葉三丁目一帯で普通に見かけるボロアパートの前にはゴミ出し時間を守らない住民がいることを伺わせる、破れた生ゴミが散乱する光景まで見る事が出来る。いまどき「四谷に住んでいる」だけで一目置かれるような高級住宅街なのに、その片隅では未だにこんな風景がある。そのギャップが面白い。
「鮫河橋谷町」と呼ばれていた谷底に沈むかつての貧民街、その面影は小奇麗なマンションに変わりつつある現在の若葉二丁目、三丁目界隈を歩いていてもあまり残ってはいない。
が、少し路地裏に目をやると、狭い谷底の窪地に古い住宅がみっちり建っていたりして、当時の雰囲気をにわかに感じさせるものがある。
若葉二丁目商店会から少し外れて戒行寺坂に入ると、そこには一軒の銭湯が。
「若葉湯」というバリバリ地元密着型の小さな銭湯である。
この界隈は道を歩いていても老人の姿しかない。それなりに銭湯利用者が多いようだ。
昭和初期までに東京市中最大規模のスラム街があったと言われる四谷鮫河橋谷町。その土地は現在ごく普通の、しかし非常に鄙びた下町風景を残す地味な住宅街と商店街に変わっている。
地下鉄四谷三丁目駅と四ツ谷駅の間、新宿通りの南側に極端な窪地が食い込んでいるその谷底に通っているのは、若葉二丁目商店会という、一見すると人通りもなく寂しい商店街だ。
四谷の若葉町辺りは須賀神社以外にもやたらめったら寺と墓地が密集している。かつて鮫河橋と呼ばれた谷底の土地の両脇に残る四谷の寺町は、戦前までスラム街だったという街の歴史を静かに封じ込めるかのように連なっている。
須賀神社の女坂を下ると神社の下に広がるのは妙行寺の墓地。崖下に墓が連なった光景はなかなか迫力がある。四谷怪談が有名な土地だけに墓場がやけに多いというのは何かの因縁なのか。