その昔、フジテレビの城下町だった商店街…「あけぼのばし通り」と永井荷風旧居跡を見る

新宿区

東京のド都心エリアである新宿区の中でも割とマイナーで存在感がまるで無いエアポケットのような地域が、都営新宿線曙橋駅とか、都営大江戸線若松河田駅とかがある新宿の右上らへん。今回は、あまり今まで見向きもしなかったこのエリアに的を絞ってうろうろしてみる事にした。

新宿区 曙橋

都営新宿線ユーザーで無ければその地名がピンと来る事がなかなか無いであろう「曙橋」という駅名。それは新宿三丁目と市ケ谷の間にあり、丸ノ内線四谷三丁目駅からも徒歩7~8分程で来られる。駅前はひたすら地味だが、ここではスカイツリーではなく防衛省の巨大電波塔がランドマーク。

新宿区 曙橋

そんな曙橋駅のすぐ近く、靖国通りに面して北側に伸びているのが元「フジテレビ通り」、現在は「あけぼのばし通り」という名称になっている駅前商店街。商店街組織の正式名称は「住吉町商工会」というそうですが、ちょっとうろついてみますかね。

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フジテレビと言えば今ではお台場にあるテレビ局としかイメージに湧いてこないが、昭和34(1959)年のフジテレビジョン開局後、1997年3月10日にお台場に移転するまでは新宿区河田町に本社ビルがあり、曙橋駅前からそこへ続くこの商店街も「フジテレビ通り」という名称だった。さしずめフジテレビの城下町だった場所、現在は再開発されてタワマンになっとりますけども。

新宿区 曙橋

しかしこうして眺めてみると、駅前商店街らしい賑わいもそこそこに、チェーン系の飲食店ばかりが目について個人的には見どころはさほど感じる事はないようにも思える。河田町の旧フジテレビ社屋前までの300メートル程の部分が商店街になっている。

新宿区 曙橋

池袋を中心に東京北西部の微妙なエリアをテリトリーに出店攻勢を強めるコスパ最強系中華チェーン「福しん」の居抜きにしかどうしても思えない中華料理屋があったりするのが、この商店街の脱力ポイント。なぜか長崎名物ちゃんぽんをアピールしている「中華料理香源」…曙橋でお安く中華を食べられる店としては、旧福しん時代から変わらず。

新宿区 曙橋

ふと店の横に目をやると「地域密着宣言!!あなたの街の食卓です」と書かれている看板、「福しん」時代そのまんまですがな。かなりテキトーな居抜きっぷりが素敵だ。

新宿区 曙橋

他にも、日本から撤退したと思い込んでいたハンバーガーチェーン「ウェンディーズ」の再上陸店舗が地味にこの「あけぼのばし通り」で営業していたりするのも特徴的。よく見るとロゴとかも変わってますよね微妙に。現在あるのは曙橋、六本木の2店舗のみですよ。

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あと、変なものが目に付くと言えば居酒屋やコンビニが入居するとある雑居ビルの壁に描かれた巨大なレリーフをよく見るとなんだか艶かしい感じがしたりするくらいでしょうかね。

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商店街の途中から市谷仲之町方面に抜ける念仏坂の入口には「左 フジテレビ」と朱色の字で記された道標がしっかり残されている。しかもフジテレビの社名はご丁寧にも旧ロゴである。

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この念仏坂の階段を登っていっても河田町の旧フジテレビ社屋に行く事ができるが、今回はここを登って行かずに反対側の方向に用事があるのですぐさま引き返す。

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この付近の余丁町にあったという東京街歩きの大先達でもある永井荷風先生の旧居、「断腸亭」跡を見に行きたかったのだ。商店街の西側に逸れて都道302号線へ抜ける事に。年代物のすり減った石段が路地の奥に見える。

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あけぼのばし商店街は谷戸筋に沿って形成されていて、その両側は高台になっている格好だ。近所の若葉二丁目(鮫河橋)の商店街にもよく似た地形条件で、軽くデジャヴな感じになりますね。

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すり減ってやや登りづらい階段を上がった先には、ヨダレをだらだら垂らしたボロッボロの毛並みの老猫が座り込んでいた。猫界のホームレスだろうか。我々が近付くとその身なりとは裏腹に鋭い身のこなしで逃げていった。

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正確には旧「福しん」の店先から伸びる安養寺坂を登って行った方がスマートなようで、ここを登って都道302号線に合流すると…

新宿区 曙橋

都道沿いにある何の変哲も無いビルの一角に永井荷風旧居跡を示す看板が置かれていた。んまあ、何にも無いですよね。家があったというのも戦前の話ですし。

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永井荷風先生は実家ごと明治35(1902)年、当時の住所で東京市牛込区大久保余丁町にあったこの土地に自身が24歳の頃に引っ越し、直後の5年間の渡米生活の後、明治41(1908)年から10年間住んでいた。腸を病みがちだったという荷風先生は永井邸の離れの部屋を「断腸亭」と命名し、初期の執筆活動が続けられていた。

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そんな荷風先生ゆかりの地「断腸亭」跡地が100年の歳月を超えて、現在「日本ダルク・インテグレーションセンター」になっていました。あの、マーシーさんやASKAさんもお世話になっている、ダルクの系列施設ではないですか。どんな歴史の因果だ…

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そこから脇道に入ったあたりにある余丁町郵政宿舎のあたりも永井邸の敷地だったらしい。それにしても「断腸の思い」の断腸じゃなくて、単に腸が弱かったから断腸亭という名前だったんですか、荷風先生。こっちも腹が痛くなってきたので、トイレ休憩のために足早に断腸亭跡地を後にした。


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