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忘れられた軍都・千葉市に残る旧陸軍鉄道連隊の遺構を訪ね歩く 

千葉市が軍都であるということは今の平和ボケの世の中ではあまり知られた事ではないようだ。しかし千葉空襲の凄まじさ、戦後のドサクサで三国人ヤクザに乗っ取られた中心市街地の栄町に加え、千葉市における戦後史のダークな一面を掘り起こすにあたって避けられないのが、千葉市にあった旧陸軍鉄道連隊の存在だ。

千葉駅北側一帯、今で言う所の千葉公園周辺には戦前に旧陸軍鉄道連隊の本拠地があった。千葉市はもとより、津田沼から松戸までを走る新京成電鉄もこの鉄道連隊の演習線を転用して旅客輸送を行っているもので、かなり広範囲に活動していたことであろう。

そんな鉄道連隊の遺構が現在も千葉公園周辺に残っているというので、西千葉駅を降りたついでに遺構を見に行く事にした。

西千葉駅から轟町方面に歩くと自衛隊千葉地方協力本部が交差点に建っているのが見える。ここに自衛隊の施設があるというのも、きっと旧陸軍があった名残りだろう。

ちなみに轟町という地名の由来も「軍靴の轟く音」から取られているという、考えてみるとかなりマッチョな地名なのである。

戦前ということもあるので鉄道連隊の施設は殆ど現存していない訳だが、唯一現存している材料廠の建物が千葉経済大学キャンパス内にある。

千葉経済大学キャンパスの裏側、駐車場に面する場所に材料廠の煉瓦造りの建物が残っている。鉄道器材の修理や工兵の教育などが行われていた場所だという。本来は建物内に通じる線路があったらしいが全て撤去されていて存在しない。

材料廠の正面が駐車場になっているので建物を真横から眺める事が出来る。内部は学生の部室か何か知らぬが文化祭の大道具のようなものが見えている。戦争遺構としてあまり大事に扱われている印象ではない。

千葉経済大学キャンパスを一周する形でぐるぐる回ってきたが、材料廠からかなり離れた場所に材料廠煉瓦建築に関する案内板が置かれている。一応は千葉県指定有形文化財になっているのだ。

続いて、鉄道連隊の遺構が随所に残るという千葉公園に向けて歩いて行く。道すがら凄まじい平屋建て木造家屋の廃墟を目にすることができる。

もう何十年も放置されたかのような廃屋の庭にはかなり昔の型の自動車が錆び付いたまま置かれている。この家の主はいずこへ。

千葉経済大学の近所も、やはり学生街とは思えない寂れっぷりを見せている訳であるが、街並みに同化するように鄙びた街の食料品店には店主お手製のオリジナルサンドイッチが販売中。うまそう。

こんな土地だが、目の前にはいっちょまえに懸垂式の千葉都市モノレールが走っている。15分に一度しか電車が来ないので、普段は物静かである。

モノレール沿いにとぼとぼ歩くと作草部駅がある。バブル期に作られたものだけに駅はやけに立派だが誰も使っていない様子。明らかに過剰投資にしか思えない。

目的地の千葉公園へはモノレールひと駅で行けるが、電車賃も高いし15分も待つ間に徒歩で行けてしまうので、このまま歩いて行く。

モノレールの線路から反対側に、今度は千葉競輪場の敷地が現れる。戦後間近の昭和24(1949)年に開設された競輪場である。

日本全国46ヶ所の競輪場は戦後復興資金捻出のために作られたものが多い。戦後史とともにある公営ギャンブルである。

さすがに競輪場の前までやってくると先程までの学生街とは一転してオッサンばかりがうろつき回っていて雰囲気が違う。千葉公園もモノレールの駅もこの競輪場の正面にあった。これから公園の中に入って、鉄道連隊の遺構を探し回る事にする。

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東京DEEP案内の管理人です。2008年の開設以来、首都圏一都三県の街歩き情報を淡々と記録し続けております。いわゆる日陰者的物件、観光地にもならない場所、ちょっとアレな地域を見物・考察する事を趣味としております。2017年6月15日、単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を発売。
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