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埼玉県民の日フリー乗車券で埼玉のチベット「秩父」に行ってきた 

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織物産業で栄えた秩父の栄華を僅かに残す「秩父銘仙出張所」をはじめとして、本町・番場町あたりには大正時代・昭和初期の日本の原風景がリアルに見られる素敵な路地が潜んでいる。

秩父夜祭や芝桜は有名で沢山の観光客がホイホイ訪れる訳だが、肝心の秩父の街の歴史を色濃く残すこの一画には殆ど観光客と思しき人の姿もなく、ひたすら寂れた住宅街といった雰囲気が強い。メジャーだけどマイナー、観光地として全国的にさっぱり見向きされない埼玉ならではの特徴だ。

現存する秩父銘仙出張所の建物は古民家改造系オシャレカフェの他アーティストのギャラリーとして使われている模様。

都会の喧騒を離れて創作活動に没頭したいなら悪い環境ではなさそうだ。しかし東京から秩父は気軽に来られる場所ではない。

秩父銘仙出張所の建物は昭和初期に建てられたものが現存している。その頃には絹織物の取引が盛んで街は華やかだっただろう。交通不便だった秩父地方で、近隣の村の織物工場から製造された絹織物がこの付近で取引され、首都圏など都市に流れていった。

流通システムの発達した今では完全に時代の流れにとり残されて使われなくなったが、かつての栄華を留める施設として大事に残されている訳だ。

秩父銘仙出張所の向かい、締め切られたままの平屋建てボロ民家。手書きの「ビリヤード」の文字が示すように、街の小さなビリヤード場だったのだろうか。ことごとく閉鎖されているので虚しい限りだが。

路地を進むと「本町公会堂」の看板が掛かった、エメラルドグリーン色のペンキが塗られた古い建物が見えてくる。この付近は買継商通りと呼ばれていて、秩父から全国へ絹織物を流通させる買継商が集まり賑わっていた。

本町公会堂の建物裏側に回る。この建物自体もかなり特徴的な構造をしている。

傍らにある看板には買継商通り(出張所横丁)と呼ばれていたこの付近の街の説明が書かれた看板が置かれている。秩父で作られた絹織物が買継商を経て江戸、京都、大阪など全国の呉服問屋に販売されていった。

看板が置かれている本町公会堂裏手から、これまたそそられる未舗装の路地が見える。隣の路地に抜けられるようなので入ってみることにした。

民家の裏手を通り抜ける狭い路地。落ち葉が散乱しまくっていて、手入れの無さが目立つ。

よく見ると右側の家屋は廃墟と化しているようで、年代物のワゴン車が枯れ草まみれで放置されていたのだ。この放ったらかされっぷりは豪快。かれこれ10年以上は経っていそうな佇まいだ。

蔦だらけの廃車の隣にはジャングルと化した土地と平屋建ての廃屋。どう見ても人が住んでいる様子ではない。廃墟や廃村が秩父名物とは聞いていたが、まさかこんな中心市街地まで…

近い将来、高齢化で跡継ぎも居なくなった田舎の家々も、いずれはこうなってしまうのだろうか。よくよく考えると恐ろしい事態だが、だからといっても地方はどうする事もできないのである。一方で中国人など海外から日本の地方の土地を買い漁る連中も現れたりして、どのみち日本の将来は危うい。

酷い状態の廃屋を見たあと反対側の路地に出ると、そこは以前何かの店だった様子がうかがえた。すぐそばには秩父市街地のメインストリート県道73号線。こんな街の中心でも廃墟だらけになってしまう程、秩父の経済圏は地盤沈下しているのだろうか。

ちなみに秩父の不動産屋で家賃相場を見てみたが、ほぼ都内の半額程度である。立派な一軒家でも月6万くらいで貸家としてフツーに出されていたりとかなり土地事情はお安い模様。特急レッドアロー号で東京にもサッと出られる訳だし、都会の利便性を享受しつつも田舎暮らしで山ごもりするには悪くなさそうな場所だぞ。

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東京DEEP案内の管理人です。2008年の開設以来、首都圏一都三県の街歩き情報を淡々と記録し続けております。いわゆる日陰者的物件、観光地にもならない場所、ちょっとアレな地域を見物・考察する事を趣味としております。2017年6月15日、単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を発売。
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