埼玉県民の日フリー乗車券で埼玉のチベット「秩父」に行ってきた 

秩父市

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買継商通りと呼ばれ繁華街となっていたというかつての路地はその賑わいも幻のように静まり返ったままになっていた。本町公会堂の裏手から続く路地裏を抜けて、廃屋の脇から反対側の道に出てきた。正面にはレトロな銭湯風の建物がある。元々何の建物だったのか、よそ者にはちょっと分からない。

なぜか途切れ途切れになった石塀に、やはり銭湯を思わせる透明なガラスタイル。

鉄板で塞がれた勝手口と思われる入口は、丸いアーチの装飾が施されている。2階部分には窓がびっしり。銭湯じゃなければ、町医者か、それとも…

結局よくわからなかった。

それはそうと真向かいのガレージも屋根が半分壊れたかのように傾いていて見るからにヤバイ。何台か自家用車が止められている。

ここも元々何かの店舗の駐車場だったような雰囲気だ。「本町営業所」の文字だけ残っているが、何の店だったかが分からない。

ふとガレージの隣を見ると何の店なのか分かった。メナード化粧品系列の直販店か何かだった店のようだ。だが何年前まで営業していたのかは不明。この豪快なタイムスリップぶりを見ても、昭和の時代に息絶えたかのように思える。

斜向かいに番場町公会堂。二つの町の公会堂が近接している形だ。ここもレトロ建築とは言えないがかなり年季の入ったコンクリート2階建て。

番場町公会堂の前の道を進むと、さっき通ってきた番場商店街に出る。道中には「割烹めばえ」の建物。ここも凄く古い建物である。

経年劣化ですっかり塗装が剥げ落ちた割烹めばえの看板。「メバヱ」の文字がくっきり見える。半世紀以上この土地にどっしり根を下ろして商売している老舗料理屋の一つ。

割烹めばえの向かいにある近藤歯科医院の建物も登録有形文化財入りの筋金入りレトロ建築。黒い外壁と白い木材のコントラストが所謂ハイカラな建物。医院は洋風で奥の家屋が和風となった典型的な和洋折衷タイプ。

来た道を振り返る。ごく狭いエリアの中をうろついているが、レトロというよりも放置プレイ状態の凄まじい街並みに見入ってしまってなかなか他の場所に移る事ができないでいる。奥深いぞ秩父の街は。

ここまで来ると番場商店街に程近く、商店街から一歩脇道に入った場所になる。民家のガレージから巨大な樹が飛び出している。秩父の街には郊外の味気ない街並みとは一線を画し、何世代にも渡って人の暮らしが受け継がれてきた跡が残る。

しかし一方では周り一面全て駐車場に変わってしまいすっかり禿げ上がった淋しい土地になっている場所もある。

長い街の歴史を見ると、基幹産業が衰退し、東京に中途半端に近い為にかえって都心に人が流れてしまうという現象は秩父住民にとっては辛い事であろう。このへん市街地ならまだしも、奥秩父には想像を絶する限界集落が点在している。秩父市の人口は1985年から2005年までの20年間で6000人近く減少している。

そう考えると千葉県の館山など南房総あたりの街も似たような問題を抱えていて、やはり街の寂れっぷりの酷さが際立った。少子高齢化による自然減や東京への一極集中が進む中で、日本の地方はこの先どんな道を辿るのだろう。

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埼玉県民の日フリー乗車券で埼玉のチベット「秩父」に行ってきた(2010年)

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