埼玉県民の日フリー乗車券で埼玉のチベット「秩父」に行ってきた 

秩父市

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秩父路を車で訪れた時は必ず通る事になる県道73号線。そのまま奥秩父を通り過ぎると雁坂峠を超えて山梨に抜けていく。そのためか付近を走る車も山梨ナンバーを時折見かける。東京よりもむしろ甲府の方が近い。

県道73号線沿いに、辛うじて若者がたまれそうなレンタルビデオ屋や本屋がちらほら見える。

秩父には超老舗の矢尾百貨店が今も残っている(写真中央奥)。創業者が近江商人の家系で8代260年に渡って秩父の街に根付いている。矢尾百貨店は少し離れた上町にあるため時間の都合で見に行けなかったが、また次の機会に。

番場商店街と同様にレトロ建築というかボロ具合が凄い商店の建物が多い。ただの食料品店のようだが無駄に英語で「Self Service Store」なんて書かれている「あさや酒店」。看板が所々剥がれ落ちていた。

県道沿いに並ぶ蕎麦屋に、かつての商家と思われる建物も当たり前のように年季が入っている。時代劇のロケでも出来そうなレベルだ。

同じくレトロ建築の宝庫である川越は観光地化され過ぎているのでいささか興醒めしそうになるが、さすが秩父まで来ると全く観光地臭くない。四方を山に隔絶された土地が頑なに独自の風土を留めている。

重厚な洋風建築を取り入れたモダンな建物は本屋「読書クラブ」。建物も独特だが店の名前のセンスも独特。秩父にはまともな本屋があんまり無いのか知らんが結構立ち読み客がいる。やはり看板建築風味で、建物裏側はボロいトタン屋根のついた普通の木造家屋となっているところがポイント。

この「読書クラブ」、全国で文房具・雑貨・玩具を販売するキデイランドの創業者・橋立孝一郎氏が戦前に創立した書店が前身だというのだ。戦後にGHQの占領下にあった原宿にキデイランド一号店を構え米兵の子供向けにアメリカ製の玩具を売り出した。

再び秩父神社前の本町交差点へ。本町と書いて「ほんまち」とも「ほんちょう」とも読まず「もとまち」と読む。元は「下町」と書いて「もとまち」と読んでいた。

昔から秩父市街地の中で最も賑わっていたのがこの辺らしい。織物業者らが集まった界隈では花街も形成され歓楽街化していた。秩父駅付近一帯の宮側町は「みやのかわ商店街」と呼ばれ、商店が集まっている。秩父神社の側ということで「宮側」である。

本町交差点の角に立つ「秩父ふるさと館」。資料館や地元野菜直売、カフェなどが入った観光客向け施設。この建物も登録有形文化財指定を受けた古民家を改装したもの。

この裏側辺りに昔の花街だった頃の妓楼が何軒か残っているがそれは後ほど。

さらに県道73号線を北上し秩父駅方面へ進む。本町交差点で飯能方面から伸びる国道299号との重複区間に入る。

すると目の前にひときわでかい元映画館の建物が姿を現す。松竹秩父国際劇場。これも秩父が織物産業で繁栄を極めた明治時代(明治33年)に造られた芝居小屋。戦後、道路に面するファサード部分が浅草国際劇場に模したデザインに改修され映画館となった。

昭和の最盛期には秩父市内だけで映画館が4軒あったそうだが、この国際劇場も昭和50年代にあえなく閉館。

西武鉄道が通って東京に出やすくなってしまった事が映画館の閉鎖を早めたのだろうか。

ちなみに2003年11月にたった2日間だけ復活上映会が行われたらしい。

現在の秩父国際劇場は隣接する建材の上石商店の倉庫に使われている。老朽化が激しいらしく国際劇場の建物も近いうちに残念ながら取り壊されてしまうようだ。

明治時代の建築でこれだけでかい元映画館の建物を表だけさらっと見て終わりにするのも惜しすぎるので、せっかくだから一周してみようと思い建物の横に回ってみた。長年放置プレイなので雑草が伸び放題である。

建物前面だけ改修されてはいるが、他の部分は明治時代に芝居小屋として建てられた当時そのままであると思われる。白黒写真や流行りのなんちゃってレトロではなく本物が見られる経験は貴重である。

元映画館の建物にくっついた形で、なぜか住居と思しき使われ方をしている平屋建ての家屋が廃屋状態で置かれていた。

横から下り階段が伸びていて裏側に通じているが、見た目からして老朽化が激しく危険そうなのでこれ以上立ち入るのはやめておいた。建物の反対側から回る事にする。

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埼玉県民の日フリー乗車券で埼玉のチベット「秩父」に行ってきた(2010年)

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