鎌倉オカルトスポット 釈迦堂切り通し

鎌倉には大仏や鶴岡八幡宮といった壮大な見所が色々ある訳だが、鎌倉幕府滅亡の地・腹切やぐらの近くに「釈迦堂切通」という場所がある。ここもかなり凄まじい場所だと聞いて、行ってみる事にした。
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切通と聞くと鎌倉の内と外を結ぶ「鎌倉七口」という切通がよく知られるが、この釈迦堂切通は鎌倉七口とは無関係だ。鎌倉市内の浄明寺と大町を結ぶ抜け道で、有名な所ではサザンの「愛の言霊」に歌われる「釈迦堂」がここの事を指しているらしい。
先程の小町大路から横横道路朝比奈インターに抜ける道沿いに歩き、大御堂橋という名前の交差点が見えたらそこを右に入る。再び現れた滑川を渡って先へ進む。


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途中で住宅街が入り組んでいてかなり迷ってしまった訳だが、しばらく奥に入った場所に「釈迦堂ヶ谷」の案内看板が現れる。この先に件の切通が残されている。鎌倉幕府三代執権の北条泰時が父・義時の供養の為に釈迦堂を建立したという言い伝えがある。
しかし肝心の釈迦堂は正確な場所もよく分からず、謎のままになっているらしい。
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釈迦堂ヶ谷をずんずん突き進むとやがて舗装も途切れて本格的に山道に入るのだが、なんと肝心の釈迦堂切通は2010年4月の大雨の際に大規模な崩落が起きてしまい、道が落石で完全に塞がり、しばらく通行出来ない状態になってしまっていた。
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現在は落石が取り払われており、切通本体は間近に見る事が出来るという話だあったので、構わず中に入っていく。
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山道に入って100メートルもしないうちに釈迦堂切通が現れる。ここは不気味な腹切やぐらとは違いそこそこ人の姿があった。
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地盤が緩いのか知らんが道中には容赦なく崖崩れを起こした跡が残っていたりと色々危なっかしい。
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浄明寺側から切通にやってくると手前で道は鉄柵で封鎖されてしまっていて、これ以上は中に入るなと無言の警告を受ける。釈迦堂切通の上やその周辺には北条一族を葬るやぐら群や、名越山荘の跡もあり、歴史的にもかなり貴重な場所だが、保全される訳でもなくひたすら放置プレイを続けているようだ。
よく見ると鉄柵の上を何度も人が乗り越えていて、かなり凹んでしまっていた。調べると大規模崩落後も命を顧みずに平然と落石を避けながら通る人が普通に居たりしていたようだ。ここまで来たら危険と言われても好奇心に勝てない、と言わんばかりの状態だ。
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危険を承知の上で我々も釈迦堂切通に近づく。
(よいこのみんなはぜったいマネしちゃだめだよ!)
大規模崩落があったとは言うが、巨大な崖をくり抜いてトンネル状になった切通の姿は壮大である。
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800年前に人が掘ったトンネルだというだけで凄いが、実は最近通行禁止になるまで地元民の生活道路としても使われていたそうだ。
鎌倉市内は観光地と言う事もあって中心部の渋滞が激しく、南北の移動がし辛い地形で、たまに救急車など緊急車両がこの崩落寸前の古道を「抜け道」として使っていたというのだ。何ともシュールである。
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恐る恐る切通の下に入っていくと、両側の壁にも沢山の「やぐら」が掘られているのが見えるはずだ。しかしいつ天井が崩落するか分からない状態では呑気に見ていられる場合ではない。
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通行禁止の表示を無視して入っている訳で、もし運悪く崩落や落石で死んでも誰にも文句は言えない。そして目の前にはでかい落石がある。あくまで行動は自己責任で。もう入らない方がいいと思うけどな。

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