東京近郊には戦後米軍に接収され、その後使われなくなり日本に返還された土地が放置されて広大な廃墟になっている場所がある。立川の国営昭和記念公園隣の「キャンプ・フィンカム」や朝霞にある「キャンプ・ドレイク」の他に、府中にも米軍の通信基地(府中トロポサイト)が手付かずのまま現存しているのだ。
その米軍施設の現状を見たいが為に再び府中の地を訪れた東京DEEP案内取材班。その場所は京王線府中駅から小金井街道に沿って北東に1.5キロ程度進むとある府中の森公園北側に隣接している。現地へ行くには府中駅と武蔵小金井駅を結ぶ路線バスの使用が望ましい。
府中の森公園も、立川の国営昭和記念公園と同じように米軍基地返還後の跡地を公園として整備されすっかり平和を享受したファミリーが休日を過ごしている。その傍らで米軍基地の残骸が今も生々しく残されていた。
ちなみに府中の森公園の東側は航空自衛隊府中基地が広がっている。これも立川や朝霞と非常に似通った構成だ。あとはシネマ通りみたく盛り場の跡でもあればバッチリだが、それはどこにあるのだろう。
公園の領域を外れてすぐ北側にいきなり米軍施設の廃墟が見える。まさに手の届きそうな程の近さにその建物はひっそりと息を潜めていた。
これがかつての米軍通信基地の何の役割で使われていたものなのか、建物を見るだけでは判断がつかない。立川、朝霞の米軍基地跡と同様、現在は日本に返還されているので関東財務局が土地を管理している。法を冒してまで中に入る事は出来ない。
府中米軍基地が日本に返還されたのは昭和50(1975)年の事。もう既に35年が経過している事になる。やはりこの基地跡も大部分が森に還っていて内部はどえらい事になってそうだ。
広大な廃墟と森になった米軍基地跡の敷地に食い込むような形で「平和の森公園」という別の公園が存在していた。
こっちの公園はあまり利用者がいないせいか心なしか雰囲気が暗い。鬱蒼と生い茂る木々に視界を阻まれたすぐ向こうには禁断の地が控えている。誰もいない公園の中を奥まで入り込むと…
返還後35年経っても未使用のまま残された米軍基地跡へ続く鉄のフェンスが現れた。フェンスを境に向こう側は基地として使われていた頃のアスファルトの路面が露呈している。
フェンス越しに基地の内部を見る。ひたすら奥まで続く、ただ森に還った土地が広がるだけ。それ以外何も見える事もない。
しかし遠巻きに基地を眺めると当時の通信施設の名残りである鉄塔の残骸などがバッチリ残っていて、非常に生々しい光景だ。
府中の米軍基地は1970年代に発表された関東エリアの米軍基地の集約を目的とした所謂「関東計画」によって横田基地へ機能を移転、それによって役割を終えた。
しかし米軍基地の跡は南東側のゲートの様子を見てもくっきりそのまんま残されているので意外な印象を受ける。基本的に国の役人は放置プレイが好きなようだが、その事で数々の廃墟マニアの侵入を許している為ネット上に基地跡内部の写真が多く出回っているのだ。
固く閉ざされたゲートには今でも残る警告看板。英語と日本語で立ち入り禁止を告げている。そのすぐ隣には一般市民が何食わぬ顔で生活しているごく普通の住宅街が広がっていた。