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【飯盛女】東海道藤沢宿と遊郭があった街・藤沢駅北口「旧辰巳町」を歩く

JR東海道線に乗って東京から50分、横浜から25分、神奈川県湘南最大の都市である藤沢市の玄関口、藤沢駅に足を運んだ。

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藤沢駅は南口、北口ともに巨大な駅前広場が形成されていて人通りが絶えない。湘南の中心都市で、JR、小田急、江ノ電と交通網も充実している。東海道藤沢宿があった時代から交通の要衝だった土地でもある。今回訪れた目的は、藤沢駅北口付近の街を歩く事。藤沢駅北口には藤沢宿をはじめ旧市街地が残っている反面、宿場町の飯盛旅籠に端を発する遊郭の名残りが見られるエリアがひっそりと残っている。

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前時代的なニュータウンの駅前といった雰囲気もかすかに漂う藤沢駅北口のペデストリアンデッキに降り立つと、そこには青錆に塗れたヌード銅像が街を眺めていた。駅北口の広場は昭和54(1979)年に再開発事業によって整備されたもので、道理で古臭く感じたはずだ。ヌード銅像の背後には再開発ビル「サンパール藤沢」。郊外都市にそこはかとなく香る昭和の街の臭い。

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しかし藤沢駅北口のペデストリアンデッキを一巡するとやたら目立つ「薬物はダメ」系の啓発看板。そんなにシャブ中だらけなのかこの街は。「キミは地球の宝物!」などと書かれている文言を見て、鬱病患者に頑張れと声を掛ける白々しさに似たものを感じる。

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湘南藤沢は江ノ電などもあって文化的なエリアかと勝手に想像していたが、繁華街を見るに限っては例に漏れず郊外都市ならではのDQN仕様である事が窺える。駅前にはパチンコ玉が山盛りのドル箱を掲げるゴリラ像が鎮座している。

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しかし藤沢駅北口が奇妙なのはこのペデストリアンデッキを降りた柳通り北側一帯の住宅地だ。再開発に失敗したのだろうかと思えるような、細い路地裏に空き地や駐車場だらけの区画が乱雑に広がっている。

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まばらに残る民家の敷地は駐車場に変わっていて、個人の月極のものだったり、近くにあるデパートさいか屋の指定駐車場だったりと様々だ。しかし共通しているのはそこにかつて存在したであろう民家の外塀がそのまんま残っている事だ。

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そこには主を失った民家の木戸が生々しく残っていた。そして例外なくその門の向こうは駐車場に変わっている。何故藤沢駅北口はこんな状態が続いているのだろうか。

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もともとこの土地は藤沢宿の南東(巽)にあたる場所から辰巳町という地名がついていて、明治35(1902)年に藤沢宿の旅籠屋(飯盛宿)が移転して出来た「藤沢新地」の成れの果てと言われている。

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まるで戦後の焼け野原のような姿を留める旧辰巳町の街並み。駅前至近にあるのにこの空き地だらけの状態は尋常ではない。藤沢駅前の再開発計画にも含まれている場所らしいが、所謂893な方々も多く権利関係が複雑で再開発計画がうまく進まないそうだ。

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荒涼とした駅前駐車場が広がる土地にわずかに残る民家は歪な形の敷地が際立つ。この付近も駅に近い事から昼間は通勤客などで人通りも比較的多い場所だが、日が暮れるとかなり不気味な状態と化す。

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開発の手も入らずに放置状態の裏通り。昔から残る廃屋バラック民家の屋根を突き破って成長を続ける樹木の巨大さが放置された年月の重みを無言で語っているかのようだ。

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非常に怪しい通り道だが、ここを通らなければ家に帰るのが遠回りになってしまう人も多い。向こう側には新興マンション街がガンガン開発されまくっている。殺伐とした道ではあるが、銀座通り商店街寄りに近づくにつれ、わずかに商店が立ち並んでいる。

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柳通り北側一帯の「辰巳町」と呼ばれていた街は、かつては藤沢新地という遊郭だった場所と言われているが、その殆どが広大な駅前駐車場に様変わりしており、当時の様子を窺い知る事もできない。

駅北口から真っ直ぐやってくると「アネックス駐車場」「パール北駐車場」という平面駐車場(さいか屋藤沢店の指定駐車場)になっていて、警備員が忙しく来客を誘導している姿が見られる。店らしき店もごく一部に残っているが、もはや街と呼べる状態には見えない。

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藤沢は湘南最大の都会で、駅前にマンションが林立している様子を見ても発展度の高さが際立っているのであるが、だからこそ駅北口の駐車場だらけの光景が奇妙に映るのだ。普通なら立体駐車場があったり幅広道路がぶち抜いていたりしてもおかしくない場所だが…

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湘南最大の都会に残るエアポケットならぬブラックホールと化している旧辰巳町一帯。車が行き交うにせよ猫にとってはさぞかし居心地の良さそうな場所なのか知らぬが野良猫に餌をやるなと書かれた看板まで掛かっている。

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で、至る所に見かけるかつての民家の玄関。荒れ果てたままその存在を示している。しかも表札まで丁寧に残っていたりするのが怖い。ここの地主は玄関口だけを残してどこに去ってしまったのだろうか。

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だが、駐車場だらけの殺伐ゾーンも少し進むとその様子が収束する。その先は一見平凡そうな住宅街へと変わるが、相変わらず道は細く曲がりくねっていて、昔からの趣きを変えていない。

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そのまま路地を進むと、かつて料亭か何かだったと思われるような和洋折衷のレトロな旅館風建物がなんの気なしにひょっこり現れる。既にフツーの民家と化しているようだが、周囲がマンション街に変わろうとしている中で、この建物の存在は異質だ。

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洋館風の建物と棟続きに、純和風の家が奥の方に続いている。ここがかつて藤沢新地という遊郭だった事をかすかに匂わせるかのようだ。

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その建物の玄関を見ると、扉の一部が壊れたまま置かれていた。それほど荒れてはいないようだが、生活感は微塵も感じられない。建物からは旧赤線地帯に共通する独特の陰気臭さが漂ってくる。

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そこを過ぎると、遊行通りに近い江の島道旧道に抜ける。旧藤沢宿の市街地の一角を成しているが、鄙びた下町風情すら漂う。

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関東大震災や戦災で全壊してしまい殆ど原型を留めていないと言われている藤沢宿ではあるが、ごく一部には宿場町の風情を保った蔵造りの建物があるにはある。「蔵まえギャラリー」というイベントスペースがある。

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藤沢駅前の雑踏と比べると目と鼻の先にあるというのに嘘みたいに静まり返った通り道である。しかし周囲には目新しいマンションが乱立していて、街の変化は見た目以上に激しい。そのまま道を進むと古刹・遊行寺(清浄光寺)や、その門前町である旧藤沢宿の中心街がある。

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再び駅前に戻るには旧辰巳町の風俗街がわずかに残る一帯を通りがかる事になる。この付近にやってくると一気に街の空気が重苦しいものに変わる。かつての藤沢宿には49軒の旅籠屋があったと言われるが、そのうちの27軒には飯盛女が居た「飯盛旅籠」である(飯盛女のいない宿は「平旅籠」と呼ぶ)

飯盛女は表向きには給仕の仕事をこなすが、裏では宿に泊まる男どもの相手をしていたのだ。それは宿駅間での「サービス競争」の上に生まれた非公然の私娼であるとも言われ、江戸時代の裏風俗とも言える。飯盛女を供養する墓が現在も本町四丁目の永勝寺境内に存在している。

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飯盛旅籠の時代から続く旧辰巳町の赤線地帯は今では新築マンション街と僅かに残る、誰も近寄りそうにもない古びた飲食店や大人向けの店に続いているのみ。しかしそれでも当時の街並みを残す場所がひっそりと隠れているのだ。


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東京DEEP案内の管理人です。2008年の開設以来、首都圏一都三県の街歩き情報を淡々と記録し続けております。いわゆる日陰者的物件、観光地にもならない場所、ちょっとアレな地域を見物・考察する事を趣味としております。2017年6月15日、単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を発売。
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