【船橋市】消えかかろうとしている色街の灯火…船橋の遊郭跡「海神新地」を歩く(2010年)

船橋市

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住宅地の中にぽつんと佇むのは千葉県最後の名門劇場「船橋若松劇場」(2013年廃業)である。ふらふらと店の前をうろついているのは年金世代であろうオヤジ二人組。昭和枯れすすきそのまんまな光景を見せる船橋の色街も、まだまだ需要と供給は成り立っている。

その入口を見るとそこにもピースボートのポスターが。劇場の表に掲示されている出演女優一覧を見ると、若手ばかり5人程度の顔写真がついていた。

若松劇場を少し離れると、もう普通の住宅街に戻ってしまう。昔はもっと生めかしい空気が漂っていたのだろうが、今は時代の流れに取り残されたようだ。

あとは潰れた居酒屋が無表情に並んでいるだけの寂しい街並みが続く。

再び来た道を戻って、「ミネ」の手前の路地を左に入る。廃屋と古びたラーメン屋、それに八百屋。やはりこの一帯が最も亜空間じみている。この付近が海神新地の入口となっていた模様。

お風呂屋さんに隣接する敷地にも相当年季の入った廃墟が放置されたままになっている。一体何に使われていたのだろう。見る限りでは一切手掛かりが掴めなかった。

続いて木造バラックの凄まじい廃屋の姿が生々しい。その向かいからは「若松劇場」のステージから流れる音楽がこちらまで響いてくる。何世代にも渡って特殊産業を中心に回ってきた街の歴史は今なお続く。

最盛期には十数軒もの遊郭が並んでいたというが、殆どが住宅街に変わってしまった。なんだかよくわからない怪しいリサイクルショップが一軒。

道なりに進むとマンションの建築現場に差し掛かった。ここがかつて海神新地で唯一遊郭建築が現存していたはずの「吾妻屋」の敷地である。2009年に火事で全焼してから取り壊されて、跡地はやはり住宅地へ。こうして地区の歴史はまるごと掻き消されていく。

旧「吾妻屋」の前に一本だけ、海神新地時代の街灯の柱が残っている。往時の姿を偲ばせる、いわゆる「モダン」な意匠が特徴的な柱だ。現在ではただのコンクリート柱でしかなくなっているが。

遊郭跡地を抜けるとひたすら古い住宅街が続く。かつて赤線が現役だった頃は療養生活中の太宰治や晩年の永井荷風など文豪とのゆかりも深い船橋の街。景色はその頃とあまり変わっていないのだろうか。

いまだにこんな路地が残っていたりするのが凄い。船橋も古い街なので、まだまだ探せば掘り出し物が出てくるかも知れない。


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