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船橋市南本町44番地「都疎浜」のバラック群が見たくて 

東京や首都圏一円はともかく関西でも様々なバラック住居を訪ね歩いてきた我々DEEP案内取材班。しかしこれまで見てきた中でも最強クラスのインパクトを誇るバラック住居群が船橋市南本町44番地という住所に存在している事を知った。

総武線快速で東京駅から約25分の位置にある船橋は、いまや千葉県を代表するベッドタウン都市として毎日大勢の人々が行き交う街に変貌している。

ともかく南本町44番地のバラック住居の場所を調べると、なんと船橋市役所のすぐ裏手の所だった。駅前から市役所へ向けて歩く道は、中途半端に再開発計画が進んでいない路地裏を延々と歩く事になる。駅から流れる人々もその多くは細い路地を縫うように進んでいる。

その所々で在日コリアンがやっている焼肉屋などがチラホラと現れるのが船橋クオリティ。

物凄く年季の入った焼肉屋「オンニキッチン」の店先がやたら気になる。わざわざ英語で「Korean barbecues house」と書かれている所も、「生マッコリ」をプッシュしている所も気になる。しかし我々は先へと進む。

路地を抜けて国道14号千葉街道に差し掛かると、そこは以前に「海神新地」を探しに来た時と同じ道だった事に気がつく。ボクシングジムの近所だ。

千葉街道の交差点をそのまままっすぐ行くと道は右側にクランクしていて、突き当たりにタクシー会社「船橋交通」の事務所がある。ここから先が南本町44番地だ。

大きな地図で見る

付近の地図を確認すると、このタクシー会社付近から海側に向けて細い水路が伸びているのが分かる。昔から漁村だった船橋独特の名残りで「澪」と呼ばれる水路の一つだ。海から魚を運ぶ水路が作られ、日常的に使われていたのだ。

ちなみに船橋市役所側の道に抜けると、周りが高層マンションだらけの中で一軒だけ古風で豪勢な日本建築が残っている。「割烹旅館玉川」という建物だ。大正10年創業の老舗旅館で、昭和10年に文豪・太宰治が療養生活のために船橋に引越してきた時に最初の20日程ここに宿を取っていたという。

この割烹旅館玉川がある付近の土地は昭和初期に三田浜塩田が廃されてから、今どきで言う一大レジャーランド「三田浜楽園」が出来て、割烹旅館の他に遊園地やら海水プール、動物園などがあり、都内からの観光客で非常に賑わっていたと言われる。

この三田浜楽園も最後は割烹旅館のみが細々と営業されていたが、2006年3月末で店の歴史に幕を下ろして、跡地は巨大マンションに変わってしまっており、三田浜塩田と三田浜楽園の記念碑だけが市役所向かいの公園の脇に残されている。

今では名残りも全く見当たらない程、超高層マンションが壁のように立ちはだかる空虚なベッドタウンに姿を変えている。

割烹旅館玉川の背後に堂々と立ち尽くす巨大タワーマンション「パークハウス・プレシアタワー」。その真下に広がる古い水路に沿って、件のバラック住居群が未だに残っている。

それにしても手前のおでん屋も微妙に怪しくて思わず反応してしまいました。見た目は下町風味な居酒屋と言ったところだが…

物凄く幸福の科学関連の張り紙だらけで…

最近の幸福実現党は坂本龍馬がイメージキャラクターなんですね(笑)

ということで何度も横道に逸れてしまったわけだが、いざ船橋市南本町44番地へ。

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東京DEEP案内の管理人です。2008年の開設以来、首都圏一都三県の街歩き情報を淡々と記録し続けております。いわゆる日陰者的物件、観光地にもならない場所、ちょっとアレな地域を見物・考察する事を趣味としております。2017年6月15日、単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を発売。
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