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船橋市南本町44番地「都疎浜」のバラック群が見たくて 

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船橋駅南口から徒歩10分程度、超高層タワーマンションが向かい合う場所に、本当にずらりと並んだ見事なバラック群が現れる。

これが南本町44番地。いまだにこんな光景が残っていたなんて…

しかも凄いのが並んでいるバラック小屋の半分近くが後ろの川べりに根こそぎブッ倒れてしまっている事だ。そこには船橋市役所河川管理課によって立てかけられた「この建物の所有者の方へお願い」と書かれた看板がある。

っていうか所有者すらわからんのか!

しかしこうなるまで放置していた行政もどうかと思うのだが…

ここ、市役所の真裏だし…

市役所の河川管理課が看板を立てているくらいだから、このバラック群が建っているのは川の上という事は間違いない。ここは船橋港から魚を通すために掘られた「山谷澪」と言う水路の一つ。今ではもちろん役目を終えてただの水路でしかないが、おそらくこの場所に「戦後のドサクサ」で不法占拠した上で勝手に家を建てたのだろう。

南本町一帯は昭和初期に三田浜塩田が廃され、跡地は戦後間近まで放棄されていたような場所であったそうだ。それが戦時中・戦後になると都内から強制疎開させられた移住者などによって住宅が建てられ今のような形になった。

この界隈には「都疎浜」という曰くありげな地名が残っていて、現在も自治会や公民館の名前に使われている。都疎浜という字面が非常に気になるが、これは「都内から疎開させられた浜」という意味なのだ。

そんな街の成り立ちを考えると、なんとなくどんよりとしたものが漂うのは気のせいだけではないような感じがする。バラック廃墟に負けじと荒んだ姿を見せる向かい側のスーパーマーケット。

南本町44番地もとい、都疎浜の山谷澪沿いのバラック住居群はその大半が人の住んでいない廃墟と化して放棄されている。もう見るからに住めない家ばかりだ。

またもう一軒、川べりにズレ落ちた廃屋が悲惨な姿を見せていた。家の周囲には数十年掛けて堆積した葦の枯れ木やゴミが散乱していて、見た目にも物凄い。

家がこうなる前まで、ここに住んでいた人々はどういう生活を送っていたのだろう。そして笑えるのが倒壊した民家に市役所がさっきと同じように「この建物の所有者の方へ」云々の看板を建てている事だ。行政は何も把握していなかったのか。

倒壊民家と超高層タワーマンションの落差が凄い。

山谷澪のバラック住居群についてはさすがに船橋市議会でも取り上げられているようで、実は数年前に市有地として移管されたばかりという。近いうちに行政によるクリアランスがあるかも知れない。

だが中には未だに人が住み続けているバラック民家の存在もあるのだ。どの家も見事にブルーのトタン葺きで統一されていてシブイ。

首都圏に未だにこれだけの規模のバラック家屋群が残る場所はそうそう存在しない。ある意味戦後の闇歴史を最も忠実に残した場所と言える。都疎浜という土地の名と、この地に流れ着いた人々の暮らしの痕跡が生々しい。

参考記事
平成21年第1回定例会会議録(第8日・5) – 船橋市

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東京DEEP案内の管理人です。2008年の開設以来、首都圏一都三県の街歩き情報を淡々と記録し続けております。いわゆる日陰者的物件、観光地にもならない場所、ちょっとアレな地域を見物・考察する事を趣味としております。2017年6月15日、単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を発売。
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