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船橋市南本町44番地「都疎浜」のバラック群が見たくて 

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昭和初期に廃棄された三田浜塩田の跡に築かれたのは戦時中に都内から強制的に疎開させられた人々によって作られた住宅群だ。町内会や公民館などに残る「都疎浜」の地名は自分達の状況を皮肉って付けられたものなのだ。

都疎浜地区、現在の南本町一帯は今も昭和の下町臭さが残る純朴な住宅地になっているが、戦後60数年経ってもバラックのまま放置されているのは山谷澪に沿った不法占拠建築群のみだ。

継ぎ接ぎされたトタン葺きの壁が手作り感を漂わせていて実に味わい深い。

年月だけが過ぎたトタン板が錆びついて、夕日に照らされると鮮やかな褐色を放つ。

所々倒壊したり空き地になったバラック住居の跡地には「公共用地につき立入禁止」と記された看板。船橋市と記名された右側がテープで塞がれているが、恐らく移管される前の管理者である「千葉県」と記名されているのだろう。

倒壊したバラック住宅は船橋市の公金で瓦礫の除去や整地作業を行った上で封鎖状態にしている。

こういう場所だから不法投棄も多いのだろう。ここはゴミ捨て場ではありません。とは言ってもさっきもテレビが捨てられていましたが。

この道路は抜け道としてもよく使われるので交通量が意外に激しい。道幅も狭いので通るときは頻繁に車の往来に気を付けなければならない。

もう一軒、現在も住んでいると思われる住居の一つ。完全に川べりの斜面に無理矢理建てている形になっているのが分かる。

ちなみにこれとよく似たバラック群で大阪市都島区桜ノ宮駅前の大川沿いのバラック群を思い浮かべるが、いくら不法占拠で建った家でも年数が建てばここが正しい住居であると既成事実化して、電線も水道も引かれて人並みに生活が出来てしまうものだから法の解釈はよくわからない。確かに戦後のドサクサというのは大きいが。

山谷澪のバラック群を抜けると、そこには山谷水門という古くてこじんまりとした水門が建っている。

山谷水門の向こうは京葉道路を挟んで船橋港の一部となって船溜まりが広がっている。大量に貝殻が落ちていたりして未だに漁港の風情を保っている独特の空間だ。

水門に沿った小橋からバラック群と山谷澪を見渡す。葦が生い茂っていて水面の半分以上が隠れて見えない。

山谷澪を挟んだ向かいの湊町、こういう微妙な場所に創価学会の平和会館があるのね。さすが庶民の王者。。。

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東京DEEP案内の管理人です。2008年の開設以来、首都圏一都三県の街歩き情報を淡々と記録し続けております。いわゆる日陰者的物件、観光地にもならない場所、ちょっとアレな地域を見物・考察する事を趣味としております。2017年6月15日、単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を発売。
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