五反田に残る怪奇の旅館「海喜館」

品川区

五反田が戦前、花街として賑わったという歴史はそこかしこで耳にしたものの、今更来て見てもどこにその名残りがあるのかさっぱり分からない。

先にも記した通り、五反田駅西側一帯は戦時中の空襲で焼け野原となった経緯があるためだが、そんな五反田の街、目黒川沿いの一角に奇跡的に花街時代の趣きを残す宿がある。

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で、またしても池上線の鉄橋が見える大崎橋の上にやってきた。春には川の両岸に植えられている桜が開花して、周囲のマンションやオフィスビル、池上線、遠くに見える大崎駅前のタワーマンション群と一体となって、壮観な都市景観が見られる。

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大崎橋の目黒方面を見ると、目黒川のほとりにやけに場違いな料亭風の建物が見える。

「海喜館」という古い旅館だ。

一部では「怪奇館」などと揶揄される程、その建物だけが時間が止まったまま、まるで幽霊屋敷さながらの状態で佇んでいる。

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大崎橋を渡った真ん前が海喜館の正面玄関にあたる。周囲はオフィスビルだらけで、この場所だけが鬱蒼とした植木に覆われていて、外周は古びた薄茶色のモルタル塀が取り囲む。

通りがかる人々も、この宿が一体いつの時代から営業しているものなのか、客の出入りはあるのか、誰も知らないという謎の旅館として知られている。

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玄関口には、やはり古びたままの看板が架けかえられもせずに使われている。

「日本観光旅館連盟 暖冷房完備バス付 旅館 海喜館」

看板だけを見る限りは、一応ちゃんとした旅館であることを示している。

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旅館入口までの庭までは常に開け放たれていて勝手に出入りできる状態になっている。謎だらけで不気味な旅館だと傍目から思われているようだが、庭の植木などは比較的手入れが行き届いている。

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目黒川沿いの道からも旅館に出入りできる。こちらから見ても、やはり手入れの整った庭がよく見える。一見するとまともな感じがするが、どこか陰鬱で淀んだ空気を肌に感じるのは気のせいなのか何なのか。

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五反田の花街は大正10年(1921)に麻布から四軒の芸者屋が移ってきたのが始まりと言われているが、この旅館自体の古さを見ても、その当時からずっと続いているかのような佇まいだ。

関東大震災で都心の花街が大きな被害を受けた事を契機に、墨田区の向島や荒川区の尾久などとともに当時郊外の地にあった五反田の花街も昭和初期から戦前にかけて賑わいを見せたという。この旅館も連れ込み宿の一軒として営業していたのではないかという見方もある。

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しかしその横で豪快に土塀が崩れている様には驚いてしまった。故意に崩されたのではなく、敷地内の植木が生長し過ぎて塀をそのままなぎ倒してしまったのだ。いやはや自然の力って本当に凄いもんですね。

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ちょうど真横から塀の様子を見る。木が伸びた分だけきっちり塀が押されている。崩壊も時間の問題だが、修理も何もせずに放置プレイという所が実に投げやりである。

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旅館の外周に沿って歩いていく。ちゃんと手入れされていたのは表玄関の庭付近だけで、あとは廃墟同然の姿を見せている。そりゃ怪奇館とも呼びたくなるわな。

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別館側に繋がっていると見られる勝手口の木戸は、見るも無残に破損状態のまま、やはり放置プレイだ。

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外周の塀に3~4つ程取り付けられた「旅館海喜館」の小さな看板も、玄関から遠ざかるに連れてだんだん古いバージョンのものに変わっていく。一番端のものは「喜」の字が「七」三つだったりして統一感がない。

目黒川沿いの遊歩道から幽霊旅館などと言われる謎の旅館「海喜館」の外観を眺める。

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恐らく大正時代か昭和初期に建てられたであろう建物は、少し離れて見てみると、気品を残す高貴な老婆のような姿で腰を据えて佇んでいるようにも見える。よくぞ戦災に呑み込まれずに今日日まで生き残っていたものだ。

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改めて海喜館の端から端までを見ると、思っていた以上に敷地が広い事が分かる。黒ずんだモルタル塀は年月の重みをそのまま刻み込んでいるかのようだ。

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勝手口と思われる本館横の入口の一つ。2階建ての旅館は人の気配が全く感じられない。

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真裏は旅館とは関係のない駐車場が広がっているだけだった。その正面にも旅館の中の2階建ての建物が見える。

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裏側から今度は正面玄関側まで回る。お好み焼風居酒屋という看板を掲げた店舗があるが営業している様子がない。

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その先は再び海喜館の敷地になる。五反田の街の各所に貼られている首都高中央環状品川線の排気塔の建設に対する抗議ビラがあった。

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旅館の周囲を一周し終える手前にも、またしても別館への入口が開いている。一体全体、部屋数がどれだけあるのだろう。

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別館へのアプローチにも小さく日本庭園風になったスペースがあるものの、本館とは違って少々荒れ気味。

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海喜館別館の玄関口。こちらは廃墟そのものといった雰囲気だ。使われている様子はない。

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あとは正面玄関まで、薄茶色のモルタル塀が続くだけとなる。道行く人もこの奇妙な旅館の存在が気になるようで、我々が観察していた間も「ここやってるの?やってないの?」みたいな会話をしながら通り過ぎて行く通行人の姿があった、

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こちら側の「海喜館」の看板は壊れてしまっているのか、ぽっかり穴が開いたままになっている。

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というわけで一周してきたわけだが…

この海喜館、こう見えてもちゃんと営業中で、現在でも時折ビジネスマンを中心に利用客が居ると言われている。

とある宿泊体験者の方から見聞した所、予約の電話を入れても訝しげな態度で泊まる理由や人数構成などを事細かに聞かれるそうで、商売っ気がさっぱり無いとか。やっぱりこの旅館は謎めいている。

だが、朝食つきで一名6300円というのは魅力的である。この朝食というのもかなり評判が良いらしい。東京出張・旅行の宿泊先としてはかなりおすすめ。機会があれば一度でも泊まってみたいものだ。いつ営業を止めてもおかしくないような場所なので、無くなる前に是非一度。

2017年8月現在、旅館「海喜館」のある土地取引で住宅メーカー業界最大手の積水ハウスが63億円もの巨額の購入資金を「地面師」に持ち逃げされたとして、蜂の巣をつついたような大騒ぎになっており、当記事へのアクセスが急増しておりますが、この記事は2010年訪問時に書いたものですので、何卒ご了承下さい。あと、旅館の名前の読みは「かいきかん」ではなく「うみきかん」が正しいそうです。


海喜館に泊まった勇気ある人々
http://hanaiti.fc2web.com/060501.html
五反田怪奇館

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