産廃と残土の山「行徳富士」の中はこうなってました

市川市の行徳地区は昭和44(1969)年に地下鉄東西線が出来てから急激に宅地化が進んだエリアで、元からある集落を除けばその大部分がニュータウン的な街である。妙典駅から南東1キロの場所に「行徳富士」と呼ばれている山がある。湾岸地域であるにも関わらず標高37メートルあるらしく、一説によると市川市の海抜最高地点だというのだ。
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行徳住民はこの山の存在をよく知っているだろうが、その事実に目を背けようとする。なぜならその山は長年に渡り残土運搬業者が運んだ土砂で築かれたもので、しかも周囲一帯が産廃処理場になっているからだ。京葉線の車窓からもその異様な風貌の山の存在を視認する事が出来るが、実際にこの場所に足を運んだ事がなかった。


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という訳でわざわざクルマを調達して現地を訪問してみたのだ。湾岸道路を市川大橋方面に突っ走れば橋の手前左側に「行徳富士」の姿が拝めるだろう。高浜交差点から左折、その先を右折すると産廃業者が密集した路地へ入り込む。違法残土の山を間近に見られる。
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産廃銀座とも言える土地は、行徳地区の南東側の大部分、周囲2.5キロ程の広大な敷地を持つ。その中央をぶった切るように走る路地の中に入ってみて、初めてこの場所の異様さが目に付く。家具や家電、家財道具などが平然と捨てられているのだ。
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30年以上に渡る長期間に積み上げられた残土の山はすっかり草木が生い茂っていて、傍目に見ると人工的に作られた山である事すら気づかない。全く自然の力は凄いなぁと思う訳だが手前の水路はゴミの不法投棄が酷い。
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地デジ移行で使わなくなったブラウン管テレビが水路に捨てられている。テレビだけではない、様々な廃家電やら何やらが大量に水の底に沈められているはずだ。相当の有害物質が染み出ているに違いない。
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この土地は昭和50年代から江戸川区の残土運搬業者が地権者の了承も得ないうちに次々と残土を捨てるようになった。だが実際は土砂だけでなく廃材など産業廃棄物も沢山混じっていた。昔は残土を扱う法規制もなかったので、何が捨てられているか分かったものではない。
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この事で市川市が昭和55(1980)年に所謂「残土条例」を制定したり、市と地権者で業者を相手取り裁判を行った事もある。もちろん勝訴はしており撤去命令が下されたが業者が未だそれに応じていない状況だ。
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違法残土の山に皮肉を込めて「行徳富士」と呼んだのはいつの頃からか、当初は草木も生えておらず風が吹けば砂塵に混じり悪臭が舞い上がって周辺住民を幾度となく苦しめてきた。大雨が降ればその度に土砂崩れが起こり、沼地まで出来てしまっている。
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その沼地で羽根を休めている鳥の姿が見られる。近所の新浜鴨場のそばに野鳥の楽園があるというのにコイツは物好きな奴だな。野鳥にとっては環境問題なんて知った事じゃないが、人間のご都合で真っ先に命を落とすのはこうした野生動物でもある。
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この場所には「江戸川第一終末処理場」が建設される予定になっていて敷地のあちこちに立て看板が見られる。それは一度昭和48(1973)年に都市計画決定されたものだが、地権者による反対で一度は建設が断念されている。
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そこで三番瀬を埋め立てて建設用地を確保する方針に変わり、この土地は残土・資材置き場として暫定的に利用されてきたという。
しかし三番瀬の干潟を埋め立てる事に反対の声が挙がり、既に新浦安や舞浜など周辺の埋立地造成が進んだ上でこれ以上環境破壊をするなという事で、埋め立て計画も潰れた。せっせとかき集められた土砂は行き場を無くして、結局この場所に放置される事となった。
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産廃銀座の路地は入ってすぐに未舗装となり、さらに奥へ奥へと続いている。部外者でも難なく車ですんなり入れてしまうのだが、平日にはかなりの数のダンプカーなど関係車両が行き来するので、なるべく休日を選んだ方が良い。昼間でも不気味で、徒歩で立ち入るのはかなり勇気が要る。
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しまいには道がぬかるみだして、場所によっては深い轍が出来ていて、泥が車の底にガリガリと当たってしまう。足回りも泥だらけになってしまった。先日の台風があったせいかも知れないが、大雨が降った後は土砂崩れの危険もあるし、間違っても徒歩で来る場所ではない。
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次に見つけたのは路地の脇に唐突に集められた大量のゴミだ。不法投棄でこうなってしまうものなのか。一体どこの誰の仕業か知らんが人目に付かなければやる事が大胆である。
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よく見るとそのゴミの大半がコンビニのビニール袋の中にぶち込まれた生活ゴミであったり空き缶やペットボトル、雑誌やエロ本といった、いかにも道端に落ちていそうなものだ。近づくと悪臭も酷い。昭和の高度経済成長期に悪評を極めた「夢の島」の埋め立て地もきっとこのような有様だっただろう。
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廃棄ペットボトルが大量に並んでいるが実は水面に浮いているのだ。水面が見えない程にびっしり捨てられている姿は異様そのものである。うかつに足を踏み入れるとエライ事になるだろう。
紆余曲折を経て、当初の計画通りこの土地に終末処理場が建設される予定だが、建設の着手すらされておらず、実現するのは随分先の話だろう。残土運搬業者との係争も一段落ついて建設計画に踏ん切りがついてはいるようだが、未だに細切れとなった土地の用地買収に手こずっているらしい。
巨大都市東京の辺縁部に位置する行徳地区が文字通り問題を「山積」していた行徳富士の残土もいずれは取り払われてゆく運命にある。
行政の失態、地権者のエゴ、業者の身勝手などと誰かを悪者作りするのは容易いし、エコだの3Rだと綺麗事を抜かすのも容易いが、隠された現実は酷いものである。
誰も欲しがらない都市のウンコは誰かが片付けなければならない。それは都市に住む当事者として誰もが目を背けてはならない、実に根深い問題なのだ。
参考ページ
江戸川第一終末処理場事業進捗状況 – 千葉県
行徳富士周辺の航空写真(1974年)
当該土地に残土の山はなく、細切れの農地のようになっている

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