羽田はアナゴ漁を中心に沢山の魚介類が取れる良質な漁場だった。神奈川の生麦や子安、千葉の浦安などと同じく周辺の開発と工業化で海洋汚染が深刻になり、漁師は相次いで漁業権を放棄。自由漁業による漁が細々と続いている他、釣り船屋などが多い。
大師橋や首都高から向こうの多摩川沿いにずらりと釣り船が係留されているのを見る事ができる。各々の釣り船屋が自前でこしらえた桟橋がびっしり並んでいるので見るからに漁村の風情が満点。
桟橋の上には小屋も建てられてちょっとした水上バラック村のようにも見える。これらの釣り船屋には早朝には釣り人が多く訪れる。
桟橋と漁船が並ぶ多摩川下流の光景に目を奪われがちになるが、沖合いの方に目をやると、小さな島が浮かんでいるのが見える。
「ねずみ島」と言われる中洲の島で、現在は野鳥の楽園となっているが、昔は川崎側の殿町の農家が所有していた梨畑の一部だったという。昭和初期の多摩川の河川改修事業で最後まで立ち退きに応じない農家の土地を残して、全て掘り抜いて孤島にされてしまった訳だ。
遠目には羽田空港の広大な敷地が広がっている。度重なる空港拡張で沖へ沖へと伸びて行く羽田空港は2010年10月に新滑走路の運用開始で国際線就航が本格化する。
堤防沿いに進むともう一つの船溜まりが現れる。漁船が出払っていたのか知らないが係留されている船があまり見当たらない。
すぐ真ん前が普通に住宅地になっていてギャップが激しい。賃貸住宅はあまり見かけず昔からの住民が暮らしている一軒家ばかりだ。
この辺は多摩川の堤防よりも3メートル近く低い位置に住居が並んでいる。昔から暴れ川と呼ばれていた多摩川は台風などで度重なる水害を経験している。ましてや下流部なので津波の心配もある訳だ。
天災に怯えながら暮らしていたという歴史からだろうか、穴守稲荷神社をはじめこの周辺には神社がやけに多い。羽田の街の人々の信心深さは底知れない。
堤防の下に鎮座する小さな社を構える「玉川弁財天」。見たところ何の変哲もない街の小さな神社といったところだが、かつては宮島や江ノ島と並んで「日本三大弁天」の一つと呼ばれるような神社だったという。
元々は羽田空港敷地内にあったものが戦後のGHQ指令による空港拡張のための強制移転で今の場所に移って現在に至る。
この付近までやってくると完全に街並みは田舎の漁村そのもの。狭い路地に昔からのトタン張りの木造家屋が密集しているのだ。
古い住宅地に紛れて釣り船屋が点在している。店らしい店といえば釣り船屋か、もしくは羽田沖で自由漁業を営みながら海鮮料理を出す個人経営の料理屋くらいのものだろうか。
多摩川の堤防沿いに最後まで歩くと、その突き当たりには意味深な祠が祀られている。沖合いにポツンと浮かぶ祠に桟橋が掛かる。関東大震災時に多くの死体がここに流れ着いたと言われ、その犠牲者を弔うための祠であるそうだ。