関東大震災後の昭和初期から成立し戦時中までは亀戸と並ぶ賑わいを見せていたという「平井」の花街(三業地)。しかしその名残りはただ一軒残る料亭「まじま」を残して全てが消え、下町のスナック街へと変貌している。
「まじま」の裏手の通りもスナック街。お水なテナントビルが路地の両脇にずらりと並ぶ。夜の街の系譜は姿形を変えてもしっかりと続いているのだ。
スナックだらけのテナントビルもよく見ると空き部屋の多さが目立っていた。裏返しにされた店の看板は潰れている事を意味しているのだろう。不況の影響か知らんがこんな場末の下町まで大変そうですね。
区画整理の行き届いた駅北口とは異なり、南口となるこの一帯は路地が絡みあっていて風景が独特だ。飲食街と住宅街の境目には食肉卸センター。
食肉卸センターを入った先の路地も若干スナック街が残っているがもはや営業している雰囲気は感じられない。しつこいけど公明党ポスター多すぎ。
スナック以外の建物の多くはこのような昔ながらのモルタル塗りのオンボロアパートだ。人が住んでるのかどうか分からん妖怪屋敷みたいなのもある。で、ここでもお約束の公明党ポスターが貧乏臭さを演出する。
平井駅の南口はロータリー周辺だけが再開発で取り壊されたものの、総武線というメジャー路線で駅徒歩1、2分の範囲にこれだけボロスナックやボロ民家が立ち並んでいるとは、葛飾の京成線沿線といい勝負だ。隣の新小岩ですらDQN臭がキツいが駅周辺はそれなりに都会ぶっている。
そんなボロい下町の路地裏には猫が似合う。にゃんにゃんにゃん。
再び駅裏近くの路地に戻る。錦糸町・亀戸や小岩ほど極端ではないが韓国料理屋の姿もちらほらとある。このスナック街自体も戦後のドサクサ風味な感じがしなくもない。
このスナック街には一軒だけ怪しげな佇まいの旅館が存在している。
「旅館ふじ川 和・洋室・バス・トイレ付アリ」
この看板自体にも年代を感じさせるが、道路側から見てかなり奥まった土地にあるので、これは何なのかと疑問符が出てくる。しかも客のアプローチとなる道は未舗装で雑草も生えたままだし…
建物を斜めから見てみたらかなりボロい事は確かであるが、この様子から見ると営業している様子にも見えない。
駅前の路地をしらみ潰しに探索していく訳だが、古いスナック街に時折韓国料理屋が見られたり連れ込み旅館の残骸があったりとおおよそ街の構成は他の総武線沿線の街と似通った印象がある。
一方でフツーの綺麗な民家に建て替わったような場所も結構目立っているので、この平井花街跡の情緒が楽しめるのも、そう長くはないのかも知れない。料亭まじまが店を畳んであの建物が見られなくなったら、わざわざ平井を訪れるきっかけも無くなってしまいそうである。
そんな平井で孤軍奮闘中な感じのインド料理店の滅茶苦茶な日本語の看板が妙にウケてしまった。平井花街の将来も錦糸町や小岩みたいなやたら国際化された下町か?