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日本最大のネオン街!新宿区「歌舞伎町」がどんな所かざっくり紹介するよ (2009年)

この場所を「大遊戯場歌舞伎町」と表現したのは歌手の椎名林檎だが、まさにその表現がぴったりくる、日本最大の繁華街・新宿歌舞伎町。

椎名林檎の歌の通り…ではないかも知れないが、JR新宿駅の東口を出たらそこはスタジオアルタ前であり、フジテレビの笑っていいともでおなじみの場所である。土日や休日前の夕方以降にこの界隈に出てくると、人がごった返して歩くのも大変になる。

靖国通りに面して、日が暮れると歌舞伎町のネオンサインは他のどの繁華街にも見られないほどの異様な極彩色を放つ。

ネオンサインは一晩中夜の街を煌々と照らし続けており、歌舞伎町を「眠らない街」と言わしめているのもわかる。

もっともそのネオンサインの大部分がパチンコ屋、サラ金、風俗店、ドンキホーテなど、ろくなもんじゃないのが笑えるところだが、まあ歌舞伎町クオリティだと思って大目に見てやれば良い。

夜ともなれば居酒屋の店員の客争奪戦が始まる一方で、どこぞのホストの兄ちゃんか知らんがチャラチャラした黒スーツに身を固めた茶髪の軍団が固まっていたり、家出少女がふらふらしたりと様々な人間模様に出くわすことができる。

そんな日本最強の歓楽街、新宿・歌舞伎町。大遊戯場の入口は人々の欲望を吸い込むかのように立ち尽くしている。

歌舞伎町の成り立ちは終戦直後に遡る。戦争で焼け野原になった新宿駅前のこの一帯を、歌舞伎の演舞場を中心とした芸能と娯楽の街として復興させようとした都市計画のもとに成り立った街である。しかし計画の変更によって歌舞伎の演舞場は建設されることなく、新宿コマ劇場が建設されるに留まる。こうして「歌舞伎町」という地名だけが残った。

その復興計画には多くの在日華僑の存在があったと言われているが、どさくさ紛れで裏社会の介入もあったのだろう、現在では当初の芸能と娯楽の拠点としてというよりも、ポン引きと風俗の街に変わってしまっている。

かつては在日中国人・韓国人をはじめとした外国人犯罪の温床とも言われていた歌舞伎町だが、石原慎太郎閣下(笑)の鶴の一声「東京の顔である新宿がこの体たらくでどうするんだ」と言ったかどうかは知らんが、これでもかなり浄化されてしまった方なのだという。石原都政下で2004年暮れに行われた浄化作戦の影響で裏風俗が壊滅した反面、ホストクラブの街になってしまったという声もある。

しかし相変わらず風俗無料案内所ばかりが目に付き、歌舞伎町はどう転がっても歌舞伎町なのだということを物語っている。そういえばこの並びに、セクシーパブの客含む44人もの死者を出した雑居ビル火災もあったが、そのビルはもう取り壊されて空き地になっている。

その一方で、芸能文化の街として復興を図ろうとした歌舞伎町のシンボル的施設である「新宿コマ劇場」も、数多くの演歌歌手の憧れの舞台としても52年の歴史を刻んだのち、閉館してしまっている。

新宿コマ劇場と同じくして、隣接する映画館「新宿プラザ劇場」も閉館。

映画や演劇が広く大衆娯楽だった時代は既に通り過ぎてしまったということか、日が落ちても決して明かりのつくことのない「コマ劇」の建物が物悲しさを誘うのだ。

コマ劇場を目前として周囲が映画館ばかりで埋め尽くされている「シネシティ広場」も、時代の流れに若干取り残されるかのように、古臭い佇まいを残している。ここに昼間にやってくるとホームレスのオッサンがあっちこっちでゴロゴロ寝ている。

コマ劇場の南側には、かつて2ちゃんねる系イベントでも度々使われ、サブカル文化人やキワモノ芸人がよく現れるイベントスペース「新宿ロフトプラスワン」が入る建物もある。

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東京DEEP案内の管理人です。2008年の開設以来、首都圏一都三県の街歩き情報を淡々と記録し続けております。いわゆる日陰者的物件、観光地にもならない場所、ちょっとアレな地域を見物・考察する事を趣味としております。2017年6月15日、単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を発売。
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